1
場所とコミュニケーションする力
米田:海外のアーティストにとって、別府という温泉街はきっと異世界だと思うんですが、彼らが別府を理解するための手助けはどのくらいやられたんですか?
芹沢:もちろん、コンセプトや街の基本情報は伝えるけど、そもそもアーティストを選ぶ段階で、人や場所とコミュニケーションできない人はまず選ばないとか、予防処置はとっています。今回は、初めて一緒に仕事する人だけ選んだんだけど、ある程度は人となりを知っているので、不要な軋轢は起こさず、クリエイティブに地域に関わってくれるだろうという読みはあった。近藤:アーティストによって、場所とコミュニケーションする力が強い、弱いという違いはあるんですか。
芹沢:場所との対話能力は、僕の個人的な意見ですが、アーティストにとってきわめて重要な能力じゃないかと思っています。ひとつ例を紹介しましょう。僕は今回、別府という場所の力を前面に引き出したかったけど、そのなかで、たとえば鉄輪の「富士屋」(百余年が経た登録有形文化財である明治の木造旅館建築の冨士屋一也百ギャラリー)や「聴潮閣」(1929年、住居兼迎賓館として建築)のように、公共からの金銭的援助もなく、個人の努力で残されているすばらしい場所にエールを送りたいとも思い、こうした場所は積極的にアーティストに紹介しました。
でも、アーティストが独特の嗅覚で場所の力を嗅ぎ分けることも多かった。サルキスと街を歩いていると、彼は波止場神社を見て、ここで作品を発表したいと言う。風俗街に取り残された、豪華でもない神社です。目の前には、ちょうどこの神社を拒絶するかのように、「non!non!」という名のソープランドがある。しかしよく見ると、神社の境内には「別府築港ノ碑」という石碑が建っていて、今では見過ごされているけど、港町として発展した別府にとって非常に大切な神社だったんですね。サルキスは、「その場にアートが介入することで、もう一度、人々の意識をこの神社に向けさせたい」と思ったんでしょう。アーティストの作業というのは、虫眼鏡みたいなもので、忘れられているものをふっと浮かびあがらせる。しかし面白いのは、もちろん彼は日本語も読めなければ、この碑文のことも知らないわけです。彼の直観がこの場所を選ばせる。場所と対話ができるアーティストの力に、僕は大きく期待しているのです。
近藤:まさに「炭坑のカナリア」というか。
芹沢:そういう能力というのは、真っ白な空間に閉じこもってやっているだけだと、だんだん退化していくんじゃないかと心配でもあるのです。
2
街の記憶と「模造記憶」
近藤:最後の質問なんですが、今日は帯広や、横浜、別府などいろんな地域でのアートの話が出ましたけど、以前、芹沢さんが「アーティストはチューナーであり、街の面白さを伝えるアンプでもある」とも仰ってたように、地域にアートが入っていくことが街の面白さを発見するきっかけになる。そういうことが今、日本中に少しずつ広がっている感じがするんですね。
それで、先ほどのお話で、別府に初めて来た時に「温泉の二階が繋がっているイメージが面白い」という話がありましたけど、それをもっと広い視野で広げて、近い未来の日本がこうなっていくと面白いというイメージを聞かせて頂ければ。
芹沢:東京以外で地域とアートを絡めたいろんな動きが出てきたのは事実ですよね。でも手放しでアートイベントをすればいいってものではない。僕が地域のアートを考えたい時に「地域」と呼んでいるのは、地域行政のことではなくて場所。そこに住む人も含めた意味での場所なんです。
東京にももちろん、ローカルな東京もあるけど、個人の記憶で言うと東京オリンピックから、がらっと変わって次のステージに行ってしまった気がする。東京オリンピックは僕が中学1年くらいの時だったけど、首都高が通ったのもその頃ですよ。オリンピックが終わって、祖母にある日「日本橋にいくから付いてきてくれ」と頼まれて一緒に行くと、首都高が日本橋の上をまたいでいた。祖母は知ってたんだろうけど、自分の眼で確認しに行ったんだろうね。そこに佇んでいたのが何分位か忘れてしまったけど、ものすごく長い時間に思えて……彼女は都心に出る時はいつもきちんと和服を着ていきましたが、変わってしまった日本橋の光景を眺めていた祖母の後ろ姿が今でも忘れられない。僕にもその悲しみは伝わってきた。そして彼女は振り向くと、「もういいよ」ときっぱりと言う。彼女が心の中で割り切った瞬間だったんでしょうね。こんな言葉を使っていいのか分からないけど、パワーとかエネルギーを使ったレイプ、強姦していくように環境を変えていくというやり方を前世紀はやってきたわけですよね。
その後、バブルも経ていく中で、よく思い出すのは映画『ブレードランナー』です。原作になった『アンドロイドは電気羊の夢を見るか』もそうだけど、模造記憶の哀しみがよく表現されているよね。バブルの頃など、地上げした後にコンセプトとか言って、やれフィレンツェ風だとか北欧の町並みだとか、街や自分の人生と全く関係ない模造記憶が植え付けられていく。更地にされることは、記憶を喪失すること。そこに関係ない嘘っこの記憶が埋め込まれ、そこで生きていかざるを得ない東京という街。
米田:でも、僕らの世代は、芹沢さんが知っていた洗脳される前の東京を知らないんです。捏造された記憶しかないんですよね。
芹沢:想像力でいくしかないわけで、リアリティはないわけだね。
米田:ないですね。だから、「こういうことがあったら嬉しいな」という“想像上の記憶”をもとにして、故郷を見つけていくような感じですよね。
3
切断するより、付け足していくこと
近藤:一方で、東京はそんな風に模造記憶を埋め込まれたようになってしまったけど、地方ではまだ少しは街の記憶が残っているわけですよね。
芹沢:そう。全部ではないけど、この街にはまだ記憶の残り香がある。でも、別府も危ない時期に来ていて、僕が来て2、3年の間にも文化財クラスの別荘が一掃されて再開発されたり、空き地も目立つようになってきた。文化財クラスでも取り壊されるんだから、こういうアパートのような建物はいとも簡単に消えていく。「昭和レトロで」なんて暢気なことを言っている場合では全然ないし、そういうノスタルジーを観光と結びつけて強調する人たちもいるけど、僕はそこには関心はないんです。
近藤:ただ守ればいいということでもないわけですね。
芹沢:そう。未来というと大袈裟かもしれないけど、更地にして大きなものを作っていくようなやり方には未来はないと思っているし、リーマンショック以降、そういうことにみんな薄々気付き始めている。抽象化した数学理論によって経済を動かしていくバーチャルな経済は実体経済と関係ないと言われてたけど、大きな影響があるということが、ものの見事に証明されてしまった。今のやり方では先がないということが象徴的にはっきりしたわけだから、全く新しい経済が生まれなきゃいけないわけです。新しい経済に裏打ちされた地域のローカリティや、もっと言えば、一人一人の生活に基準を置き、共通項は持っているけどユニークな個人に根ざしたローカリティ、それが寄り集まって何かを作っていけるコミュニティが出来てこないといけないと思う。
抽象的な数字だけの経済はもう壊れたから、もう一度、個人の身体性の方に揺り戻しが絶対に来る。僕は今、BEPPU PROJECTとリノベーションに関与しているけれど、今後はエネルギーや水などのエコ技術がせっかく進んでいるのだから、その導入も提案したい。鉄輪には100度のスチームがあるわけだし、これも利用すべきです。
あとは、衣食住が重要になるのは間違いない。「地産地消」で、作っていく過程をちゃんと見えるようにすること。今、社会でもう一度、ライフスタイルを目に見える範囲で考え直そうという動きが出てきているでしょ。衣食住やエネルギーをどうするか。更地にして一から作り直すんじゃなくて、歴史という記憶の連続体を大切にしていかないといけない。よそから持ってきた理想を掲げて過去を「切断する」より、今ここに「付け足し」ていく方がずっと未来が見える気がするんです。僕らの身体だって、そういう風に進化してきた。脳だって、「三位一体の脳」という説では、爬虫類時代に作られた延髄に、旧哺乳類時代、新哺乳類時代の大脳皮質が「付け足し」で出来ていく。より効率的な方法が発明されても、古いものを一掃して新設計のものに取り替えられるわけじゃない。だから面白い例で、お酒を飲んで酔っていくと大脳皮質の新哺乳類脳から麻痺していく。思考が曖昧になってきて、言語がもつれてくる。その前段階の旧哺乳類脳が活性化されて、感情に左右されて急に泣き出したり笑い出したりするよね。
近藤:昨日の夜の僕らがまさにそんな感じで、完全に旧哺乳類になってました(笑)。
米田:別府の夜が楽しすぎて、酔っ払ってしまって…「旧哺乳類になった男はつまらない」と女性陣に言われたんです(笑)。でも、それも通り越して、爬虫類になってしまいそうな勢いで(苦笑)。芹沢:そう、旧哺乳類脳も麻痺してくると目が座り、爬虫類に戻っていく。
米田:確かに、「理由はないけど蛇が怖い」と言う人がたまにいますよね。というのも、かつて人間には小動物だった時代の器官が脳に残っているから、理屈抜きに蛇を見ると恐怖を覚えるような感覚が元々備わっているそうですね。
芹沢:朝、目玉焼きを食べるのは、恐竜の卵をくすねてきて食べていた頃の名残だとか。鳥は恐竜の末裔だからね。まぁ僕らもそうやって付け足しでできてきたわけだ。一掃して何かを一から作るっていうのはウソだと思う。その方が儲かるシステムですけどね。
近藤:建築物をとっても、海外だと石の建物が多いから残っていきやすいけど、日本は木造だから壊しやすくて壊しちゃうというのが多いですよね。
芹沢:でも、本当は木の文化と言うのは壊しやすいのではなくて、「入れ替え可能」という意味で石の文化よりもすごく優れているんですよね。
近藤:でも、それが忘れ去られて、新陳代謝じゃなくて、全部変えちゃえ、になっちゃってるんですね。そういえば、建築家の檀文彦さんも「建て増し」の思想こそ日本的なものなんだと言ってましたね。
4
番外トーク:蔡國強「万里の長城を1万メートル延長するプロジェクト」
*蔡國強「万里の長城を1万メートル延長するプロジェクト」
1993年2月27日、万里の長城の終点・嘉峪関を起点とし、砂漠の上に1万メートルにわたって導火線を敷設し、夕方に火をつけて、炎と硝煙で長城を延長させるというプロジェクト。当時、「宇宙と対話する」というコンセプトで創作活動を続けていた中国人アーティスト、蔡國強のこの作品のプロデュースを手がけたのが芹沢さん(P3 art and environment)だ。
新野(圭二郎。今回のツアーに同行したアーティスト):蔡國強さんの「万里の長城を1万メートル延長するプロジェクト」は芹沢さんが一緒にやられていましたよね。昨年の北京オリンピックのオープニングの時の「BIG FOOT」(花火で巨大な人が空を歩いているかのように再現した)も、蔡さんからプレゼンされたと何かの記事で読んだことがあるのですが、芹沢さんは彼の壮大なアイデアを実現されるために、どんなお気持ちで一緒にやられていたのか聞かせて頂けますか?
芹沢:発光地球儀の上に地球上の諸問題を表現していくインゴ・ギュンターの「ワールド・プロセッサー」という作品をP3で発表したとき、それを観に来た蔡國強と会ったのが最初で。「私、火薬でアートしてます」って。また変なのが来たなと(笑)。
一同:(笑)。芹沢:1990年のことだった。で、そのあと、P3のスタッフがヨーロッパに行く用があって、そのとき蔡さんのフランスでの野外プロジェクトを見てきたんですよね。それで彼女たちが「蔡さんはすごいからP3でやろう、ちゃんとプレゼンを聞いてくれ」って言うから、来てもらった。
やってきた彼は、リュックサックから蛇腹のノートを一冊ずつ取り出しては、それを開いて説明していくんです。まずは「BIG FOOT」。火薬を仕込んだ3mくらいの足跡を何枚も並べ、国境をまたいで導火線で結んでいく。火をつければ、目には見えない国境を、これまた目には見えない巨人が疾走していくという作品(去年の北京オリンピック開会式でかたちを変えて実現された)。一つの作品につき3~40分話すんだけど、面白いから聞き入っちゃう。もう終わったかなと思ったら、「次は、ベルリンの壁を再現します。ベルリンの壁は崩壊したけど、人々の心のなかの壁は崩壊していません。火薬でもう一度、ベルリンの壁を再現します。」「壮大だなー」って思ってたら、また次を出す(笑)。たしか7、8時間は付き合ったと思う。
一同:えぇ〜!
芹沢:うちのスタッフも聞き入って、「面白いからやろう!この蛇腹のノートがすてきだから、これを大きくして屏風みたいに自立させて展示しよう」と、いっぺんに決まってしまった。それで実際の制作に入ると、彼はほとんどお寺のギャラリーで寝泊まりして作品をつくり続ける。こんなこともあったなあ…。夜中の3時頃スタッフから電話がかかってきて「蔡さんがギャラリーの中で火薬を爆発させてドローイングを作ったもので、煙感知器が反応してしまって、住職が頭から湯気出して飛んできてる!」とか(苦笑)。でも、さすが大物だと思ったのは、蔡さんはそんな時でも「キレイです」って、その様子を写真に撮ってた。
一同:(笑)。
芹沢:そんな感じでスタッフ共々ほんとうに仲良くなっていって。展示が終わった時に「次も一緒に何かやろう!」と。それで、ヨーロッパまで出向いて「ベルリンの壁を再現する」のは大変だけど、アジアならお金もすこしで足りるだろうと、消去法で「万里の長城を延長する」作品をやろうってことになった。でも、絶対出来ないと思ったから安心してたんだ(笑)。
それで中国に調査に行くんですけどね、3回くらい死ぬかと思いました。たとえば、冬、山越えのために車を停めて休んでいたら、山を下りてきた大型トラックのブレーキが利いてなくて、「は?」と見てる間にこっちに向かって来た。幸い速度は弱くなってゆるゆると押される程度で、「ああ、助かった……」と思ったら、実は、崖ぎりぎりのところまで押されていて。ほんと、あとちょっとだった。本番もたいへんだった。作業を終えて点火のために帰ってくると、すでに3、4万人の観客が集まっている。すごいな!と思ってふと見ると、数人の観客がタバコ吸いながら穴を覗いてるわけ。その穴というのは、蔡さんが「狼煙台を作りたい」と言い出して、1kgの黒色火薬を入れて1kmごとに掘ってある穴なんだよ。
一同:えぇぇ〜!(笑)
芹沢:導火線を設置していく先頭のグループは一番若い子たちで組織されてたんだが、時間が来たので、蔡さんや僕は起点に戻り、あとは彼らに任せたんだ。東京に戻ったあと、あの子たちの撮ったビデオを見ていると恐ろしい話で(笑)。最初は「おお、火がついた。すげえ。」とか余裕なんだが、だんだん「火、近づいて来る。火、近づいて来る」となって、最後は、「怖ぇー怖ぇー!」「捨てろー!」って、持ってる導火線の残りを谷に落として走り出し。
一同:(笑)。
芹沢:で、とにかく無事終わって、ホテルに戻って乾杯して、みんなで打ち上げをはじめたんだが、先頭グループの子たちの顔が見えない。結局あの子たちだけピックアップを忘れてて。寒い山奥で7人かな、ほっとかれてて、慌てて連れ戻しに向かったんだ。そこには蔡さんの奥さんの弟もいて、戻ってきた最初の一声が「もう兄さんとは遊んであげない!」。
近藤:(笑)。子供の頃からのいろんないたずらの延長だけど、今度のはさすがに……。芹沢:蔡さんは子供の頃「もっと大きい爆竹作ります」って言って、あんまり大きくしすぎて大変なことになったらしい(笑)。
新野:ちなみに、火薬を爆発させる許可はどうなってるんですか?
芹沢:共催してくれた北京の火薬会社と地方政府がすべてやってくれた。もともとね、中央政府は「現代美術なんて存在しない」と言っている頃だから、地方政府に掛け合って「これは観光でやる花火大会だ。日本から観光客がいっぱい来るからやらせてくれ」という戦術でアプローチしようと考えていた。でも、状況は違ってて、地方政府の人たちの方が深くこのプロジェクトの意味を理解していた。中国は文人を大切にするじゃない?とっさに蔡さんが「芹沢さん、宇宙の話してください」と言い出し、僕がそういう役割を演じたら文人として認めてくれたんだろう(笑)、とんとんと話が進んでいったんだよ。
火薬については、なんとかお金をかけずに調達しようと日本中を回ったんだが、すべて断られた。鹿児島のある会社が最後になって、ここでOKが出なかったら延期しようと決心して、蔡さんも「分かった」ということで行ったんだが、そこも「なんでうちが中国でやるプロジェクトに火薬を提供しなきゃいけないの?」っていうことだった。
ただ、その鹿児島に行く前の夜、北京の国営企業の花火会社から「100万円出せば火薬を提供する」という話は蔡さんのところにきていた。で、鹿児島空港で蔡さんがトイレに行ったのでP3に電話して、「今、通帳に100万あるか? 100万あったら火薬を調達できる中国ルートが見つかってるんだが、どうしよう」とスタッフに意見を求めた。ああいう時って、女性の方がずっと度胸があるな。その腹心のスタッフが一言、「100万ならあります。やりましょう!」って。蔡さんがトイレから戻ってきたから、「有り金叩くから北京の火薬会社でやろう!」と言った。「トイレに行っただけで、こんなことになるのは素晴らしいことです!」って、蔡さんは目を丸くして喜んでる。もうそのまま飛行機に飛び乗って、羽田についてからふたりでビールで乾杯した……。その後、北京の火薬屋さんも大変な目に遭っていくわけだけど、その話は次にしよう。
近藤:(爆笑)。えーっ!?今まででパート1なんですか!
新野:蔡さんの名前が世界的に広まったプロジェクトですもんね。それがこんな面白い話があったんですね。
米田:後半の蔡さんとのエピソードは、スゴかったですね! 蔡さんもスゴイですが、その道中に付き合う芹沢さんもスゴイ(笑)。長時間、ありがとうございました。パート1以降もいつか聞かせてください!
—終—
その後、僕らTSは「混浴温泉世界」のカタログの編集に携わることになり、
来年の書店での発売に向けて、只今鋭意作業中。
お楽しみに!
........................................................................................................................................
interview by:
近藤ヒデノリ Hidenori Kondo
クリエイティブディレクター、CMプランナー
TOKYO SOURCE編集長、季刊誌「広告」編集委員
ブログ「TRAVEL HETEROPIA」http://d.hatena.ne.jp/camelkondo/
........................................................................................................................................

