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やなぎみわ (美術家) 後半


1

FUTURE SOURCE


今、注目している人、モノ、コト

フェリーニ『8 1/2』

他者の老いての作品

子育て

身の回りのこと

演劇


2

映画:フェリーニの「8 1/2」


やなぎ:ベネチアビエンナーレって、コミッショナーと私のプレゼンがセットになって公開審査、コンペで決まるんですね。ですから、作品は何もできていないし、展覧会はまだ先なんだけど、展示プランというのが全部公開されるんです。記者発表ではコミッショナーと一緒に作品のコンセプト、展示プラン、図面まで全部見せなきゃいけない。それが辛くて。まあ新作で行くと行った自分のせいなんですけどね。

フェデリコ・フェリーニ『8 1/2』

そんな時、朝にタクシーを飛ばして映画館へ『8 1/2』を観に行ったんです。大風呂敷を広げて作っちゃった巨大な映画のセット、複雑な人間関係。プロデューサーにも見放され、セットが解体されるのを見ながら、友人が「この混乱した世の中に、何をさらに付け加える必要があるのか。何をさらに制作する必要があるのか。沈黙以上に価値のあることはない」と慰める。主人公はそれを聞きながら、あの有名な祝祭的なラストシーンが始まるんです。すべてのシーンが不思議なくらい「腑に落ちて」、泣けましたね。

近藤:今の自分がおかれた状況とかなりダブって見えたんですか?

やなぎ:もちろん(笑)。フェリーニは、サーカスとか魔術とか猥雑なものが原風景としてあって、そ最後、結局そこに行き着く。映画の中で役者に「子どもの時のイリュージョンをもう一度そうやって吐き出すのは陳腐だ」と言わせながら。20年前、学生の時に買ったパンフレットを引っ張り出して読んだんですよ。

近藤:フェリーニの他にも、学生時代に映画はかなり観てたんですか。

やなぎ:そんなに観てたわけではないですけど、フェリーニとか、ゴダールとか、ビスコンティとか、学生の時にわからないなりに観に行ってた映画が、今になってわかるというのがありますね。学生の時には、「美大生だったら当然見なきゃ」と張り切って小劇場に見に行って、結局よくわからなかったのですが……。きっと今でもわからないものはたくさんあるんだけども、わかる時がいつか来る。もちろん来ないかもしれない。そう思うと、やはり人間の作るものは面白い。そんなものがいつか自分にも作れたらと思います。

3

他者の老いての作品


My Grandmothers/AI

近藤:最近、他者の人生観や表現っていうものに注目しているとありましたが、そこについて聞かせて頂けますか?

やなぎ:作家が年をとってからの作品にすごく興味が出てきましたね。例えば、中川幸雄さんだったり、大野一雄さんだったり、漫画家でも年をとった方が増えてきたし。日本画家さんなんかは、わりと高齢の方が多いですけども、現代美術作家でも高齢の方が増えてきましたよね。草間彌生さんもそうだし。

近藤:草間さんや、オノヨーコさんとか。

やなぎ:そうですね。自分の体がだんだん言うことをきかなくなりつつも、制作意欲が衰えなかったり、世間の道理がわかってしまう年になったり、そういう変化で作品がどう変わっていくとかというのが気になりますね。「作品というのは変わらない」という幻想は信じてなくて。作品を作る時だけ、別世界にトランスしちゃうようなものではないわけで、作品は全然変わってないように見えても、きっと変化はあるし、最近、そういう微細な変化も、見られるようになってきて益々面白いですよ。

近藤:例えば、一見、ずっと同じようなことをやってるように見える河原温さんとか、ずっと同じスタイルのペインテンィグをやってるように見える人でも、変わってるところを感じたりしますか。

やなぎ:河原温さんは、まあ修業ですよね。草間さんとかは、ずっと同じに見えるけれども・・・。

近藤:老いてますます狂い咲きみたいな感じもありますもんね。

やなぎ:狂い咲きも激しくなったりとか。アールブリュット作品は、変わらないのが魅力であり、ピュアな情熱が永久に持続するようなと言いますけれども、それは、一般の人がそう思っているだけで、同じように見えても、描いてる本人は、色を少しばかり塗りかえるだけで、大変な勇気を奮って描いているかもしれないし。それは見た人には完全には判断できません。

近藤:変わってないように見えても、何らか、少しずつ変化していっていると。逆に、どんな作家でも、本当に同じことをひたすら繰り返すのはできないですかね。

やなぎ:同じことを永遠に繰り返す……飽きないっていうのは大きな才能だと思いますよ。飽きちゃう方がずっと大変です。私は、倦怠や頓挫を感じられる作品の方が好きですね。

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子育て


近藤:やなぎさんは最近、子供を育てることが生活の中で大きな比重を占めるようになってきたと書いてましたが、それ以前と比べて作品を作りなどに変化はありますか?

やなぎ:よく言われることですが、子育てをするようになって、以前の自分がよくわかるようになりましたね。過剰と欠落のバランスを崩しながら、そこからエネルギーをもらって制作するっていうのは、自分ひとりの自作自演ですよね。そのためだけに時間を使う事は今はもう出来ないんですが、今まで知らなかった世界がこの年になって目前に広がるというのは面白いです。例えば市民新聞とか読んだこともなかったですし、京都市の福祉の問題とか、ほとんど知ることがなかったですね、1人だと。

近藤:子育てをして1年くらいだと思いますけど、それが作品作りに反映されてきたということはありますか?

やなぎ:作品だけ見たらあまりわからないと思いますが、天秤にかけるところはありますね。例えば、子どもは今、私がいないと食べるにも困ると思うんですけれども、子育てするのと作品とどちらが重いか比べるということはありますね。

近藤:それは比べられない問題のような。よく女の人が男の人に、「仕事と私、どっち選ぶの?」っていうしょうがない質問をするような……。

やなぎ:もちろんしょうがないんだけど(笑)それでも作るべきものがあるか?と自問するようになりました。アートって余剰なものですよね。今誰かを救済したり世の中に急激な変化を与えたりはせず、稀に、その非常に個人的な部分が他者と共鳴して奇跡を起こす。その根本的な存在意義を探すようにはなりました。これまで美大を出て制作するのが普通という感覚で続けてきたところがあったので。

この制作時間を作るために、子どもをはじめ犠牲になっている人がいても、それでも作らなければいけないのか?と、必ず一瞬は考えるようになりました。そこでさっきの「81/2」の主人公の言葉がすごくはまってね。「この世の中に欠落した部分を埋めるようなものを作りたかったけれども、そういう勇気を持ち合わせず、何もできないのはこの自分だ」。この言葉を陳腐だとは感じないですね。

5

身の回りのこと


My Grandmothers/MIKA, 2001

やなぎ:最近ふと、近所の川にある飛び石や渡って行く散歩人たちを見ていたりするんですよね。もう20年近くもここに住んでいるのに、これまで散歩したりとかしなかったんですよ。まあ、花見くらいはしましたけども。

近藤:仕事の合間に散歩して眺めてたりするんですか。

やなぎ:そうですね。鴨川に飛び石があって、小学生ぐらいだったら何とか飛び石を踏みながら向こう岸に行けるところがあるんですね。橋が遠いので、近所の人がみんな飛び石のところを渡って行くんです。見ていると、みんな自分よりも少し弱い者を連れて、飛び石を渡るんですね。例えば自分はもう足腰も弱っているお年寄りが、飼い犬を肩に抱いて渡ってたり、ちょっと足の悪いおばあちゃんを、おじいちゃんが一生懸命連れてたり、親が子どもを抱っこしてたり。

そういうのを私は気がついたこともなかったんですけど、「ああ、これが世代の送りかな」という感じがしましたね。もう渡れなくなった人は、もちろんそこには来ないでしょうけれども。こうやってちょっとずつ、自分よりも少し弱い者を助けて、足場の悪いところをそうやって渡って、いつか自分も誰かにそうやって頂くことになるだろうし。そういうことは、今まで見ないように、考えないようにしていたんでしょうね。

6

演劇について


Eternal City 1

やなぎ:今ちょっと、演劇がマイブームです。昔から寺山修司さんとか好きでしたし、演劇はずっと関わりたいと思ってたんですけど機会がなくて。最近、縁があって知り合った小劇団があって、この前も試演会に行って本番公演に向けての討論をしたりしました。

近藤:やなぎさんの作品もずっと演劇的ですもんね。例えば、舞台セットを作ってみたいとかあるんですか?

やなぎ:いつか、別に大きな仕事じゃなくても、そういうのができればいいなと思いますけど。あと、3年ぐらい前に大学で教える機会があって、演劇をやることにしたんですよ。一回生70人を体育館に集めて一斉に演劇を教えた。その時に、その小劇団の人に手伝ってもらったんですね。全員を主役にしようということで、三谷幸喜作『笑の大学』にして。あれは二人芝居だから、70人で35組カップルつくらせて一斉にやったんです。最後、通し公演までして。体育館での練習は阿鼻叫喚でしたけれども、おもしろかったですよ。

近藤:そもそもは、演劇のどういう部分に惹かれてきたんですか?

やなぎ:現実とイリュージョンをないまぜにする、自分にも世界にも虚実が入り混じる、そういう演劇の毒のようなものに憬れてきましたね。あと、私自身があまり身体性を意識したことがなかったので、作品もわりと頭と目だけで作ってきたこともあったんです。だから最近、演劇とか、肉体を使う作品というのに興味が出てきた。

My Grandmothers/MIE, 2000

演劇を見てると、どれだけ話としては崩壊しているようなものでも人が肉体で演じるということは何と健全なことかと思います。お互いに唾を飛ばし合いながら、ものすごい大げんかを演じる。人間の虚構とは何かということを何度も肉体で確認しているわけです。極端ですけど、秋葉原事件で携帯電話だけにずっと自分のつぶやきを入れている、演劇はそういうことの対極の表現としてあると思いますね。自死するために他人を壊すまえに自分を壊しながら他者と対話する。

近藤:例えば、『マイ・グランドマザーズ』でも、生身の肉体をベースにメーキャップしたりして、合成したりしているんですよね。

やなぎ:なるべくCGじゃなくて、メイクしたいんですよね。最近ではCGのほうがリアルになるんですけれども、それはあまり意味がないことなので。やっぱり生身を通しての表現というのが、一番健全な痛みがあるというか。人間のどんなコミュニケーションや対話にしても、声を通してとか、相手の表情を読んでというのがあるので、そこには必ず痛みというのが発生すると思うんですね。傷つけ合う、でも、それを恐れないということが大切なんじゃないかと。

近藤:秋葉原の例などは、他者の痛みが想像できないから暴走しちゃってるわけですもんね、

やなぎ:どこまでも痛みを回避した結果ですよね。

7

『マイ・グランドマザーズ』裏話


My Grandmothers/SACHIKO, 2000

やなぎ:『マイ・グランドマザーズ』は、モデルの希望によって作品ができ上がるので、コミュニケーションをして他者の欲望を受け入れるものなんですね。例えば、「年をとってから一人になって優雅にファーストクラスのピンクの椅子に座りたい」と言われれば、探して、実際に一緒に行ったり。でも、その人はOLさんで「会社を休めないので、日帰りしないといけないんです」と言われて(笑)。仕方ないのでシンガポールエアラインで台北まで行って、そのまま出発ゲートに引き返すみたいな。どこまでも他人のドリームをこちらも引き受けるわけです。もちろん、納得できない部分はコミュニケーションしながら、修正したりもするんですけれども。

近藤:「あまりにもばかげてない?」というのもあったりするんですか。

やなぎ:そうですね、例えば自分が一歩も踏み出してないのに何かをなし得たようなグランドマザーも納得できないし、全く魅力を感じられないので駄目だって。
あとは、日本の世界系アニメによくあるように自分だけが何かの使命を担って終末を生きるみたいなものとか。これはでも納得させてくれる強さがある人の物語は引き受けましたよ。

8

ビエンナーレでの展示作品について


ベネチア・ビエンナーレ日本館の外観イメージ
(国際交流基金でのコンペ時の資料より)

近藤:今度のビエンナーレでは日本館を黒テントで覆うとか、『美術手帖』のインタビューでも、「神々しい過激なものを作りたい」ということを書いてましたが、元々は何でそういう風に思われたんですか。

やなぎ:何でだろう……過激なものはすごく作りたいですね。今、重箱の隅をつつくようなものを作りたくないんですよ。何かのメタファーだったり、記号的なものだったり、表現としてちょっと新しいみたいなものではなく……。

フェリーニの言葉のとおり、「この世の中の欠落を埋めるものを作りたい」ということです。人生を生き抜く力を与えてくれるものを作りたいんですよね。もちろん、今まで作ってきたとおり、女性のポートレートになりますが、今までの全ての『グランドマザーズ』が力を与えてくれて、力強い女性像になると思います。タイトルは「Windswept Women」となりました。女性の立像が4メートルぐらいあるんです。

ベネチア・ビエンナーレ日本館の展示室内部イメージ
(国際交流基金でのコンペ時の資料より)

近藤:4メートル! 大きいですね。それが日本館の中にあって、外側が黒テントで覆われる……何か神々しいような、すごく生命力のある……楽しみですね。

今日は本当にありがとうございました!

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interview by:

近藤ヒデノリ Hidenori Kondo
クリエイティブディレクター、CMプランナー
TOKYO SOURCE編集長、季刊誌「広告」編集委員

1971年生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業。東京写真専門学校中退。博報堂に入社後、休職してNY大学/ICP修士課程で写真と現代アートを学び、9.11直前に帰国。同社に復職後は、TVCMやウェブなどの広告を制作しながら、個人としても個展・グループ展、展覧会キュレーション、書籍の編集など手法を選ばず表現活動を続けている。ラクダ似な旅好き。(photo: Suguru Takeuchi)
ブログ「TRAVEL HETEROPIA」http://d.hatena.ne.jp/camelkondo/

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MIWA YANAGI
神戸市生まれ。京都市立芸術大学美術研究科修了。93年に京都で初個展。以後、96年より海外の展覧会にも参加。エレベーターガールをモチーフにした写真作品や、若い女性が自らの半世紀後の姿を演じる写真作品、「マイグランドマザーズ」シリー ズ、少女と老女の物語をテーマにした写真と映像のシリーズ「フェアリーテール」などで知られる。主な個展に、グッゲンハイム美術館(ドイツ、2004)、猪熊弦一郎美術館(丸亀市、2004)、チェルシーアートミュージアム(NY、2007)、ヒューストンミュージアム(テキサス、2008)など。2009年には東京都写真美術館と大阪国立国際美術館での個展、ベネチア・ビエンナーレ日本館での個展を開催予定。

インタビュー:近藤ヒデノリ(TS編集長)
人物写真:大脇崇

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