季刊誌『広告』で始まったTS待望の新連載!
「RE:SOURCE」の第1回は、美術家のやなぎみわさん。
誌面にはおさまらない1万1千字強のロングインタビューです。
エレベーターガールをモチ−フにした写真作品や、若い女性が自らの半世紀後の姿を演じる写真作品「マイ・グランドマザーズ」、老女と少女が登場する童話や寓話を演じる「フェアリーテール」などで知られる彼女。今年は3月から東京都写真美術館で始まった個展ほか、6月からは国際現代美術展、ベネチア・ビエンナーレ日本館での個展も始まります。そんなやなぎさんを京都の自宅に訪ね、作品や人生をつくってきた発想の源(source)を聞きました。
近藤ヒデノリ(TS編集長)
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MY SOURCE
これまでの発想の源となってきた人、モノ、コト
ひきこもりと長期旅行の繰り返し
無時間の中で
京都
少女漫画「花の24年組」
美術作家たち
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ひきこもりと長距離旅行の繰り返し
やなぎ:さすがにもう年の功か(笑)、いろいろなものがレイヤーになっているので、はっきりこれというのは難しいんですが、まず、学生の時に「原風景を探す」っていうのを結構、一生懸命やってたんですね。バックパックで旅行に行ったり。そのころ、中沢新一さんの『チベットのモーツァルト』が流行っていてね、それでチベットに行ったのが、人生最初の海外旅行。上海まで船で行って、2カ月ぐらい行ったんです。
近藤:あっ、僕も同じルートで行きました。鑑真号で行ってチベットまで。
やなぎ:えっ、そうですか、何年ですか?
近藤:わりと最近で、99年頃です。
やなぎ:私が行ったのは、88年なんですね。直後に大きな動乱が起こって、お坊さんがたくさん亡くなったんですよ。鑑真号で上海から入って…上海なんて今とは全く別の街ですから。雲南、桂林、成都まで行って、チベット、ヒマラヤを越えてネパールというルートです。
中国は、今とは別世界のような不衛生さでしたけど、とにかくお金はないので普通の食堂に入るんですが、もう食べれなくなってしまって、チベットに行くころには10キロ以上落ちてしまって、体力の限界で泣く泣く帰って来た。そして、しばらくひきこもっては長い旅行に出る。スペインの南の方やモロッコも貧乏旅行しましたね。あの時は工芸科で、触感重視の作品を作っていたので、今よりも色とか風景を求めて行ったんですね。何か雄大で寂しい原風景を求める欲求があったんですけど、もう高山病と食中毒で……。
近藤:それどころじゃない(笑)。僕も高山病で死にそうでした。でも、原風景を探しにいって結局、何かこれというものはありましたか?
やなぎ:なかったですね。(笑)壮絶に美しい星空や密教寺院や、いろいろ見ましたが、何か表層的なものでしかなかった。結局、現実には原風景は見つからなかった。でも最近、その辺の川に散歩に行くと見える時があります。実は、近くにあったのかも。近藤:そういう学生時代の長期旅行は、その後の作品制作にも関係していますか?
やなぎ:学生の時にわからないなりに見聞きしたものが、何かのベースになってるということはありますね。『エレベーターガール』は非常に密室感があって、『マイ・グランドマザーズ』はロケが多いので開放感がありますね。『フェアリーテール』になると、また密室に入る。やはり、ひきこもりと移動を繰り返しているところはありますね。
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無時間の中で
やなぎ:学生の時に制作を始めてから、ほとんど時間がたってないような感じだったんです。私、最近『ブリキの太鼓』という映画を思い出すんですよ。ああいう感じだったなって。主人公のオスカルという男の子が、5歳のまま時間を止めるんですよね。周りの大人の醜さに、自分の意志で成長を止めるんですよ。母親も奔放な女性で、何かどろどろと異母兄弟がいたり。
近藤:僕は海辺で馬の死体にウナギがたかってる断片的なシーンを強烈に覚えているんですけど、グロテスクなものと美しいものが同居している映画ですよね。
やなぎ:グロテスクで、エロティックで、隠喩があちこちに含まれてて……ウナギのシーンもナチスに食い物にされるドイツのメタファーなんですよね。要するに、主人公がそういう狂った世の中に反抗するように自分の成長を止めて、最後に戦争が終わって父親も死んじゃった後に、また自分から成長を始める。
もちろん、私はそんな大仰な理由なんてないんですけれども、何かああいう時間が流れてないような感じだった。作品を作って、夜中にごはんを食べて、また次という。子どもの全能感を持ち続けていたのが大きかったと思いますね。もちろん、全能感とか万能感なんてものは子どもっぽいもので、逆にそれに支配されて制約を受けていると言われても、もうそれしかないと思っていたので。だけども、最近ちょっと時計が進み始めたような感じがします。やっぱり子供ができたというのは大きいかもしれませんね。4
京都—永遠のアマチュアの街
やなぎ:大学卒業して今も京都にいますが、東京と違って動きが少なく、千年一日のようにずっと同じ。それがかえってよかった気もします。
近藤:周りに動きがないだけ、自分の世界に集中できたということですか?
やなぎ:アートに関しては、いい街かもしれないですよ。ニューヨークのように勝負する街じゃなくて、実験と失敗を繰り返してもいい、ゆるい街ですから。永遠のアマチュアの街なんですね。
近藤:永遠のアマチュアの街。その場合のアマチュアとプロの違いって何なんでしょうか?
やなぎ:もちろん、ほかの職業だったら、クライアントの欲求を満たすとか、限られた制約の中で最善の仕事をするとか、プロの条件っていろいろあると思うんですけれども、アートの場合はアマチュアでいいと思うんですね。
近藤:アマチュアというのは、ある種、自分のやりたいように、気ままにやれるというような意味なんですか。
やなぎ:いつまでたってもうまくならない、上手くなると手放してしまう、洗練されないぎこちなさがあって、野暮ったくて、個人の葛藤がそのまま出ちゃったようなカッコ悪さがあるというのが、アートの醍醐味なんですよ。
作品販売や展覧会のために、スタッフを増やしてファクトリー化したり、制作を仕事化するというのは楽な事だと思いますね。やはり1人で考えている時が最も大事な時間でしょう。
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少女漫画「花の24年組」
近藤:やなぎさんは『フェアリーテール』では、いろんな童話をモチーフにしてますけど、以前から物語や童話にはまっていたということもあるんですか?
やなぎ:童話はそれなりに読んでましたけど、途中からやっぱり少女漫画でしたね、70年代、80年代の。少女漫画家になろうなんて思ってたんです。今でも、なれたらなりたい。最後の夢かも(笑)。
近藤:特に好きだった作家とかいますか?
やなぎ:「花の24年組」がその時最盛期でしたから。萩尾望都さん、山岸涼子さんとか、あと森川久美さんとか、あのころの少女漫画雑誌って、例えば寺山修司の追悼とか、歌舞伎とか演劇のレビューや展覧会レビューもあったり、今の文系女子カルチャーのはしりなんですよね。
近藤:その辺りも発想の源になったりしていますか。
やなぎ:影響は大きかったと思いますね。例えば、家族のあり方だとか、人生観とか、世界とのつながりとか、ジェンダーの問題とかは、ほとんど少女漫画からですね。少女漫画の貢献ってすごく大きいと思いますね。例えば、性が定まらない異星人とかというものが頻繁に出てきていましたし、少女からいきなり老女になったり、ジェンダーや年齢のトランスは定番だった。
だから、宮崎駿さんの『ハウルの動く城』とかにはすごく違和感があって、何かに頼まれて書く時があったんですけど「違うと思う」と書いちゃったんですね。宮崎駿さんの作品に登場する少女には、いつも非常に違和感を覚えてたんですね。
近藤:最近の『崖の上のポニョ』にも違和感を感じますか。
やなぎ:ますます面白くなってきてるとは思うんですけれども、あのハイジから続くずっと同じ、空から降ってくる少女たちっていうのは……。あれを国民的アニメとか、理想的な少女像として、みんなが食べやすく受け入れているというのは違和感がありますね。あの少女像には、女性の方からは何のリアリティーも感じられないんです。近藤:男性から見た少女像でしかない。元気だったり、明るかったり、夢があったり……
やなぎ:けなげで、少女なんだけど母性的という、男性の視点から見た対象物でしかない。女性が描く女性キャラでは全くないと思いますね。ハウルなんて、少女がいきなり魔法をかけられておばあちゃんになって、また少女に戻ってと行ったり来たりするんですけど、少女、母、おばあちゃんっていう三役を一人の少女が担わされるということが女性にとってどれほど重みがあるのかということが、全く関係のない映画だなって。まあ、そういう観点から見るのがおかしいのかもしれないですし、もちろん天才的なアニメーターだと思いますけど。
近藤:天真爛漫で、母性があってという都合のいい存在に見えちゃうんですかね。
やなぎ:少女漫画を愛してきた人間にとっては、言ってしまえば笑止千万。それこそ女性の宮崎駿的な巨匠、例えば押井守のような巨匠が出てきてもいいと思うんです。画家はたくさんいるんだけど、アニメーターってなかなかいないんですよね。共同作業だからというところがあると思いますけどね。今はもう少女漫画も細分化されちゃったので、私はよくわからなくなりましたけど、70年代、80年代の少女漫画は、本当に陰影があったんですけどね。
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美術作家たち
やなぎ:美術作家は挙げるときりがないですけど洞窟壁画から現代美術まで。私が16の時からデッサンを教えてくださった、中ハシ克シゲさん。初めて会った美術作家です。美大受検のための予備校の先生だったんでデッサンを教えてくださったんですけれども、その時、中橋さん自身が東京造形大を出て関西に来られて、いろいろ悩んでいる時で、高校生に聞くんですよ、「今、僕、銅線で盆栽を作ってるんだけど、うまくいかないんですよ。どう思う?」とか(笑)。何を言ってるのか全然わからなかったけど、おもしろかった。
近藤:そういう宇宙人みたいな人がいてもいいんだ、という風に思えたと書いていましたね。
やなぎ:大事だと思いますね。中高生って、家と学校しかないし非常に煮詰まった状態の中にいるので、そういう「異世界というものがあるんだ」というのを知ることは、生き延びる糧になるというか、サバイバルできるんですよ、一番大変な時に。
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『フェアリーテール』裏話
やなぎ:『フェアリーテール』はこの部屋だけで撮影しているんですよ。この部屋から一歩も出てないんです。
近藤:えっ、この部屋ですか!
やなぎ:部屋を崩しながら撮影していたので、最後はもう、かなり危うい状態で(笑)。大正時代に建った家なんですけど、ここだけ洋室で─。だけど、大家さんがこの中に和室を作っちゃってて、狭い和室だったんですよ。それで、何かおかしいと思って崩したら出てきたんですよ、こういう部屋が。もっとぼろぼろで、全部はがれて汚かったんですよ。それで、床も上げたら防空壕が出てきたんですよ。京都のこういう家って、防空壕を下に掘ってたんですよね。それで、おもしろいと思って『フェアリーテール』をこの部屋だけで撮り始めたんです。
近藤:砂だらけにしたりもしてますよね。
やなぎ:プールを作って水を入れたりとか。天井にも穴をあけたり、崩したり、直したりしながら。そしたら、もう部屋がだんだん崩壊しかかってきちゃって……これ以上やるとさすがにまずいと思って(笑)。あと、部屋が狭いからカメラの引きが全然なくて、一番広角のカメラでがんばって、向こうの隅っこから撮って、こっちから撮って、いろいろ撮りましたね。

