039

中渓宏一 (アースウォーカー) 後半


1

アースウォーカー・トライブ


坂口:その後、日本を歩くことになるんですよね。

中渓:中国に向かって歩いていたんだけど、アフリカ大陸を徒歩で縦断するのにはそれなりの準備がいる。だから「まず日本に戻ってサポートを集めよう」ってポールに提案したの。それで2004年6月に日本に帰ってきた。

坂口:「アースデイ・ウォーク」とはどう繋がるんですか。

中渓:まず僕らは富士山から広島・長崎まで歩き始めたんです。そんな中、「愛・地球博」でポールが「地球を愛する100人」に選ばれたりして、今度はアースデイ東京から2006年のアースデイに向けて、中国・韓国・日本を歩いて樹を植えながら、3カ国の環境運動をつないで欲しいって依頼が来たの。そこで初めて、「アースデイ・フレンドシップウォーク」として歩き始めるようになった。

坂口:日本を歩くのは、世界を歩くのとどう違いますか?

中渓:日本を歩くことは他の国を歩くこととは意味合いが違うと思う。というのは、緑化の優先順位としては砂漠化しているアフリカ・インド・中国。それに対して日本はもう緑はいっぱいあると思ってるよね。だけど実際歩いてみると、コンクリートで地面を埋め尽くされている感じなんだよね。日本は恵まれているがゆえに、自然が消えることに気付けない。だからメッセージ性は違うけど、どちらにも必要だね。
 
坂口:中渓さんの旅が引き受ける役割も大きくなりそうですね。

中渓:そうだね。歩いて樹を植える旅には、これから世界で活躍する日本中の仲間を繋げて行くという役割もあったと思う。旅のエッセンスは「出会い」だから。

僕が今夢描いているのが、歩いて樹を植える仲間がどんどん増えて、その仲間たちが「アースウォーカー・トライブ(Earthwalker Tribe、地球を歩いて木を植える一族)」としてつながっていくこと。そしてこのアースウォーカー・トライブを漢字で「地球木族」と表現してみたんだ。この「木族」には「貴族」の意味を含んでいて、地球が緑溢れる星になれるように社会を引っ張っていけるリーダーという期待を込めてる。日本では「貴族」というと特権階級というイメージがあるんだけど、ヨーロッパでは「ノブレス・オブリージュ(高貴な義務)」という無私の行動を期待された存在で、憧れと尊敬を持って受けとめられていたんだよね。作家の塩野七生は『ローマ人の物語』でローマ帝国を支えた根本は「ノブレス・オブリージュ」だったと強調しているし、台湾前総統の李登輝は「「ノブレス・オブリージュ」とは正に「武士道」である」と書いてもいる。地球の平和の為に木を植える「木族」が「ノブレス・オブリージュ」の精神で地球を緑の楽園に変えていく、それが今のでっかい夢なんです。

2

旅のエッセンスは出会い


世界地図には旅の記録が記される

坂口:環境問題に関してはどうですか?旅を始める前から興味があったのか、それともポールとの出会いをきっかけに興味を持ち出したのか?

中渓:自分がこんな環境活動をすることになるとは思ってもみなかったけど、昔から自然は好きだったんだよね。「仕事、仕事」ってなっていた時期から、旅を続けてやっぱり自然がいいんだって感覚が復活してきた時に、樹を植える男に会ったという流れが大きかったんだと思う。
 
そういう意味では、仕事を辞めていきなり次の日にポールに会っても、すごいなって思うけどついていかなかったかもしれない。

坂口:まさに出会いは必然だったのかもしれないですね。

中渓:そういう意味では必然だったんだろうな。この旅をしてたのはポールに出会うためだったのかなって今でも思うね。

坂口:ちなみに中渓さんは日本で何本くらい植えられたんですか?

中渓:1400本以上になると思う。今まで植えた樹は全部、人の協力があって用意してもらった樹で、全て「出会い」で植えられた樹だね。

坂口:まさにエッセンスは「出会い」ですね。

中渓:人生のエッセンスは出会いだし、植樹の旅は出会いがないと寝るところもない。出会いが全て。

坂口:寝る場所って一から交渉するんですか?

中渓:そう。歩く中で、あそこの酒屋さんって旅人泊めてくれるらしいよって噂を聞いて訪ねてみたり。リュック背負って歩いているのを見て向こうから「泊まってけ!」って言ってくれることもあるし。

坂口:声かけてくれるんですね。

中渓:そういうこともあるね。東北が多かったかな。一つの教訓としては、厳しい環境で歩くのは大変なんだけど、地元の人たちはその厳しさが分かっているからこそ助けてくれる。

3

マイソース


鎌倉

幼少の頃から多くの時間を過ごした鎌倉

シアトル

父親の赴任先だったシアトルで生まれた

高校生活

母校の湘南高校では体育祭前の一週間は授業が休講になる。

会社生活

三菱商事には大学卒業から6年間勤務

ポール・コールマン

18年間で4万5000キロ以上を歩き続ける、本家アースウォーカー


>>鎌倉


中渓:地元の「鎌倉」は原点。すぐ近くに海も山もあるっていうすごくバランスの取れたこじんまりした街で、自分が最終的にどこに帰って行くかっていったらそれは「鎌倉」だね。

>>アメリカ、シアトル


中渓:もう一つは、アメリカのシアトル。生まれて1歳で帰ってきたんだけど、13歳の時にそこにサマーキャンプに行ったのね。そのサマーキャンプは、一歩踏み出せばこういういいご褒美があるんだっていう原体験になった。

英語がしゃべれない状況でアメリカの全く知らないところへ飛び込んでいくってことになって、中学一年だったんだけど、恥ずかしながら……泣いたの。

坂口:びびっちゃいますよね?

中渓:でも最初は環境になじめなかったんだけど、行ってる間にだんだん楽しみ出しっちゃって……今度は帰る時に帰りたくなくて、泣いた(笑)。

馬に乗ったり、無人島でキャンプしたり、泣いちゃうくらい楽しいキャンプで、ものすごく成長した夏休みだったのね。その時、知らないところに飛び込んで行く楽しさを教わったんだよね。

>>高校時代


中渓:僕の祭好きのソースは高校時代。藤沢の湘南高校なんだけど、そこは学校行事にものすごく力を入れる高校だったのね。祭りという年一度のハレの舞台に向かって生活を送ることを身体で教えてもらった。

坂口:それで全国の祭りを回ったりもしてたんですね?

中渓:祭に行くことでそこの文化が一番分かると思うのね。祭りはその場所の総決算だから。

>>会社生活


中渓:もう一つは三菱商事での「会社生活」。そこでの6年間は今でも財産だね。三菱商事は誰もが紳士だったし、今でも好きな会社。同期とも事あるごとに会ったりしていて、その同期がそれぞれの分野で活躍し出して、ますますおもしろくなっているのね。

>>ポール・コールマン


中渓:5つ目はポールに出会ったこと。樹を植える、しかもたった一人でその信念を貫き通すということを身体で教えてくれた人だから。特に彼と一緒にいた一年間のアフリカ生活で、雨水を沸かして飲むサバイバル術だったり、大統領に手紙を書く術だったり、常識では考えられないような角度で物事を変えていく「生きる知恵」を学べた。

坂口:彼は今、どんな活動をしているんですか?

中渓:彼はオリンピック委員公認の北京へのウォークの途中。中国という人口13億の国が、今後物質主義に走るのか、それとも環境に配慮した国になるのかっていうのは、世界の人にとっての命題だと思うのね。そんな中、ポールが元首にも物申せる立場になるんであれば、それは中国が環境立国になれるチャンスかもしれない。しかもポールのウォークに日本の環境家たちが協力することで、中国とのパイプが出来るかもしれない。

坂口:日本と中国はまだまだ遠いですね。環境に関しては、繋がりってなかなかないですよね。

中渓:だからこそ中国に環境技術を紹介するチャンスだと思っていて。オリンピックに向けて一番盛り上がる最後の一ヶ月に、日本の環境技術を紹介できる人がどっと集まって、北京に向かって環境キャラバンを起こすというのを夢描いていて。実はね、坂本龍一さんが「more trees」っていう緑化団体を立ち上げたのね。

坂口:それについてもおうかがいしようと思ってたんですよ!

中渓:そうそう。坂本さんも「STOP ROKKASHO」(青森県六ヶ所村の核燃料再処理工場稼働の反対を訴える活動)のようなSTOPっていう活動ではなく、樹を植えるアクションを起こそうということで「more trees」を立ち上げて、ご縁があって僕も「more trees」の活動に関わる事になったのね。そうすると、ポールの活動と「more trees」の活動をくっつけられるかもしれない。
二つの活動が繋がれば大きな動きになるし、しかもそこには北京オリンピックというホットな話題がある。

坂口:それはすごく期待したいです。坂本さんの活動ってすごくアースウォークのお話とリンクして行くところがありますね。

4

フューチャーソース~鎌倉発 循環型社会の未来像〜


>>苗木を育てる


中渓:自分で苗木を育てたい。今、植えている樹は全部用意してもらってる苗木だから、今後は自分で育てた苗木を植えたいなと思ってます。7年ぶりに土地も持ったので(借家)、ここで積極的に苗木を作りたいというのが一つ。

>>自給自足


中渓:次に「自給自足」。僕は地球上にいる66億人が共存できる場を夢描いていて、そこには緑がいっぱいで、食べるものが自分のすぐ傍にないといけない。その状況をまず、自分の住んでいる環境で実現したい。

坂口:そういうものがモデルとして紹介されて、広まって行くというのはいいですよね。

中渓:例えば、ここの屋根にソーラーパネルを付けて、風力発電を立てたり、トイレにバイオガスプラント付けたり。そういうことをしていけば、実はこの家だけで電力を賄えるってモデルが出来る。

しかも面白いことに、このドームハウスの樹は長さ1.8mの正三角形が一つのコーポネントになって、それが108つ集まって出来てるのね。ということは、長さ1.8mの樹があれば、家が建てられちゃう。通常の家は樹齢50年位の樹が必要だけど、この家だったら樹齢15年くらいの樹でも作れる。ということは、自分が植えた樹が15年後には、自分の家の材料になる。

坂口:なるほど。

中渓:自分で植えた樹で将来家が出来るということは、全く環境負荷がないということだよね。建てた後に樹を植えておけば15年後にはまたその樹で家が出来る。だから緑化のための植樹であり、自分の家のための植樹である。それがこのドームハウスだと夢じゃなくなってくる。

>>「村」


中渓:三つ目は、「村」。1軒こういうことが出来ると分かれば、それが30軒集まって集落になって、一つの自立したコミュニティが出来る。北海道でそういう場作りが出来たらいいなというのが、長いスパンでの未来像。

>>「鎌倉でエコビレッジ」


中渓:4つ目は、鎌倉で村作り。鎌倉というあそこまで東京に近い土地で、水も電気も市内で賄って、お米も作って、菜種で油もとれるとなれば、それは世界発信できる「自給自足都市モデル」になるんじゃないかと思っていて。

しかも鎌倉は面白い位置にあると思うのね。気軽に東京の人が体験しに来れて、しかも山あり海あり川ありだから、それをうまく使って未来型の自然に即した生活が出来る場。

>>世界中を循環型社会にする


中渓:そして5つ目が、鎌倉が世界発信モデルとなって、最終的には世界全部が自立した都市になる。地球上のどこに行っても自立したコミュニティがあって、有機的につながりながら、特産物を交換し合えるという次のレベルの経済活動が生まれる。そこが次の未来像。壮大な(笑)。

坂口:壮大で、わくわくしちゃいますね。では最後の質問なんですけど、中渓さんにとって「植樹」とは何だと言えますか?


中渓:そうだね……一言で言うと、生き抜く為に必要なもの。誰しも生れ落ちてからサバイバルして、一生を生きていくわけだよね。その中で、樹がないと息も吸えないし水も飲めないし気温も上がってしまう。樹というのは自然の大事なソースなんだよね。その当たり前のことに気付かせてくれるのが樹を植えるということ。生きていくことに直結することだから、樹を植えていくということは生き残るための作業だと思うんですね。
それはまさにポールの言葉にもあるんだけど、「Let’s Stop Killing, Let’s Start Surviving」。戦争や殺し合いはやめて、生き残りをかけて行こう。樹を植えるということはまさに生きていこうとするその証だと思うんだよね。

坂口:日本にとどまらず、世界中に広がっていくといいですね。

中渓:スケールでっかく!それが本当に夢でもあり、夢から現実に近づいている感じがするので、これからが楽しみだね。

坂口:東京で待っているよりも、こういう体験をさせていただいてほんとよかったです!ありがとうございました。

1971年シアトル生まれ。商社勤務などを経て2000年から放浪の旅に出る。旅の途中、イギリス人のアースウォーカー、ポール・コールマン氏(歩いて樹を植えることで自然の大切さを訴える環境活動家)に出会い、自らも植樹の旅を始める。これまで「アースデイ東京」と協力し、06年に沖縄-東京、07年に北海道-東京を踏破。現在、北海道のドームハウスを拠点に講演や執筆など活動の幅を広げている。

中渓宏一ブログ

インタビュー・写真:坂口惣一
場所:忍路(北海道)、中渓氏自宅
日時:2007.9.28

バックナンバー