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中渓宏一 (アースウォーカー) 前半


“アースウォーカー”という言葉をご存知だろうか。

“アースウォーカー”という名は、英国人ポール・コールマン氏に与えられた称号だ。彼が1992年の第一回国連地球サミット(リオデジャネイロ)に向けて、環境へのメッセージを発信しながらカナダ~南米徒歩の旅を敢行した、その行動力を称えてのものだった。そして彼は今も、世界中を歩いて樹を植えている。

そんなポール氏とともに歩き、いまや日本のアースウォーカーとして親しまれているのが中渓宏一さんである。彼がこれまで植えた樹は1400本以上。最近では坂本龍一の「more trees」や「アースデイ東京」などと協力しながら、「地球を緑にしよう」というメッセージを広めている。

中渓さんは商社を退職後、放浪の旅の途中でアース・ウォーカー、ポール・コールマン氏と出会い、その後の人生を決めた。どうして活動を始めたのか。どんな未来を夢描いているのか。話が聞きたくて北海道の住居を訪れた。

そこは近未来を思わせるバックミンスター・フラーのドームハウスだった。すぐ目の前には日本海が広がり波の音が心地よいBGMになる中、インタビューは進んだ。日が落ちる頃には鈴虫の音色が聞こえる。気づけばそんな環境にどっぷりと心を落ち着けている自分がいた。

僕にとってあの波の音や帰り際に一緒に苗木を植えたことは、五感で自然を感じる忘れがたい経験となった。温暖化をあおるテレビの映像じゃなくて、こうして自らの手を汚して土をいじるという身体を通して得た感覚や、その行為の延長線上にこそ、人類の未来があるのかもしれない。

「世界を変えるのは個人なんです。」

体験せずとも物事を知った気になれる、そんな時代だからこそ彼の活動に触れてもらいたい。中渓さんの語る未来像を夢物語で終わらせるか現実のものとするか、それは結局僕ら一人一人の手に委ねられているのだ。

(TS 坂口惣一)

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放浪の旅の始まり


坂口:まず植樹を始めたきっかけなんですが、放浪の旅に出てアース・ウォーカー、ポール・コールマン氏(これまで18年間で4万5000km以上を歩いて樹を植え続けている環境活動家)と出会うまでのいきさつを教えてください。

中渓:旅に出たのは28の時です。もともと旅が好きで、商社に入った理由も世界を飛びまわってみたいという理由だったんです。それで実際に仕事で世界を見るようになって、ますます地球ってどんなところなのか自分の目で確かめたいと思うようになったんですね。

それに、就職して一度も振り返らないできたから果たしてそれが良かったのかなっていう感じがしてて。自分へ投資する時間を設けようと思って、一年と決めて旅に出たのが2000年の夏です。

坂口:では、最初は一年充電期間をおいてまた再就職、というつもりで考えていたんですね。

中渓:そうですね。正確に言うと、商社からWeb系の会社に一回転職してそこを辞めてから旅に出ました。

商社での担当プロジェクトがひと段落した段階で、本当に旅に出るか迷ったんです。その時、友人のアメリカ人が僕にいい助言をくれて。「自分が今している仕事の中で考えうる一番楽しいポジションを考えなさい。それと旅をしている自分とを比べてみて、どっちがいいかで判断しなさい。」って言われて、なるほどって。僕は旅をしている自分の方が輝いて見えたから、出張先から日本に戻った時には旅に出ようって決意してた。

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世界を巡って見えてきたもの


坂口:最初に訪れた国はどこですか?

中渓:最初はアメリカ。自分が生まれた国なのに全然何も知らない国だったから。その頃はアメリカにはすごく興味がありましたね。

坂口:アメリカに興味があったというのは、どの辺りですか?

中渓:僕は1971年生まれで、音楽ではビル・ボードやUSトップ40が流行っていたし、リーバイス、ナイキにハリウッド映画っていうアメリカ一色の世代に育っていたんだね。学生の頃の意識はアメリカに向いてたんだよね。

それで旅のテーマが「祭」だったから「アメリカでバーニングマンっていう面白いお祭りがあるよ」っていう話を聞いてロスに飛んだのが、旅のスタートだったんです。「バーニングマン」って奇人変人が大集合してて(笑)。ネバダの砂漠に自分の作った面白いものを持ち寄る祭りなんだけど、もう「アメリカ大陸文化祭」みたいな。そこから5ヶ月間いろんなところを回って、カリフォルニア、ニューオリンズ、NY……僕のアメリカでの目的の一つはNYだったんですね。NYは世界の中心に違いない、ここで仕事をしてみたいと思って何ヶ月かいたんだけど、そこで分かったのがNYに住んで居る人達は東京以上にみんなしのぎを削ってるんだなっていうことで、その時はNYに住むことにあんまり魅力を感じなかった。もっと旅をしたいなっていうのがあって。

インド、クンバメラの祭

そんなときに、NYの下町を歩いてたら「2001年最初の満月の集会をやります」って貼り紙を発見して。思わずその集会に行ってみたら、そこで会った人が「インドでクンバメラっていう144年に一度の沐浴のお祭りがあるよ」って教えてくれて。急遽、NYから地球の反対側のインドに行くことにしたの。サンガムっていう二つの河の合流点なんだけど、そこはインドの聖地でこの祭りのためにインド中から7000万人が集まってくる。

この頃から放浪の旅が始まった感じかな。流れに乗ってアフリカ、欧州、メキシコそしてキューバと回って行ったんだね。キューバはアメリカとこんなに近いのに社会主義の国で、しかもみんな愛国心があって、陽気なの。なんだか全然アメリカが全てじゃないなって。キューバに行くことで、世界の主流の資本主義って実は何なんだろうって考えさせられて。資本主義の限界っていうか、キューバの方が貧しい中にも楽しそうに生きていることを肌で感じられた。

その後1年間は南米を回って、アフリカは一度行ってどうしても気になっていたから、南アフリカの皆既日蝕を見てから日本に帰ろうと、ヨハネスブルグに飛びました。

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アースウォーカーとの出会い


中渓:アフリカではラスラズバレーという自然農園もやっているキャンプ場で、気の合う日本人の友達と3人で二ヶ月くらい住んでいた。昼間は素っ裸で草原を歩くくらいに、もうアフリカに馴染んできちゃって(笑)。そしたらそこで「アースウォーカーっていう人が今度来るらしいよ」って話を聞いて、本当に数日後、ひげもじゃのおじさんがキッチンで座ってた。話をしたら「僕はずっと歩いて樹を植える旅をしてるんだよ。ここから中国まで歩いて樹を植えてるんだよ」って。

アフリカで植樹をするポール・コールマン氏

坂口:それがアースウォーカー、ポール・コールマンさんだったんですね。出会いは偶然だったんですか?

中渓:そう。彼が中国を目指して歩いている最中に立ち寄った村でたまたま出会ったんだよね。「中国まで歩いていくんだよ」って聞いてめちゃめちゃびっくりして、しかもその理由が「20世紀に亡くなった1億人の鎮魂のために1億本の樹を植えていく」って聞いてさらにびっくりした。その日、村の小学校でリンゴの木を一緒に植えたの。そこが彼との旅の始まりだった。

坂口:アースウォーカーの活動についても詳しく聞きたいんですけど、まず植樹ってどうやって交渉するんですか?

中渓:相手は政府、NPO・NGO、企業、個人と様々なんだけど、そもそもなぜアフリカでポールの活動にサポートが得られていたかというと、実は彼は直接南アフリカの森林大臣に交渉に行ったからなの。そしたら森林大臣と意気投合して、彼が通るアフリカ各国に手紙を書いてくれた。その手紙が、一つの通行手形になった。

坂口:では、道中は常にサポートがあった?

中渓:いや、そこも波乱万丈で。ジンバブエという国は経済封鎖されていて、物も石油も来ないっていう状況の中だったから、ジンバブエの森林省は彼のサポートを続けたかったんだけど、どうしても続けることが出来なかった。だからそこで南アフリカから続いていたサポートが終わってしまった。
 
僕はそういう時期に一緒にいて、じゃあ次のザンビアではサポートを取り戻そうって。ザンビアの環境省に出向いてサポートの交渉に行ったり、全く知らない国の大臣と会う、っていう今までやったことのないことが面白かった。

坂口:会ってくれるものなんですね。

中渓:それはポールがザンビアの大統領に手紙を書くという、起死回生の一手を打ったからだね。「僕は平和の樹を植えているんだけど、国際平和の日(9/21)に一緒に樹を植えませんか」っていう手紙を書いて、まず新聞社に持ち込んだの。すると新聞で大きく取り上げてくれた。そうなってくると政府も話を聞いてくれて。そういう戦略を教えてもらいながら、時に一緒に考えながらやっていくのがとても面白かった。

坂口:ポールは戦略家なところがあるんですね。

ドームハウスからの眺め

中渓:いろんなアイデアを持っているし、メディアもうまく使う。ある意味で「一人営業マン」だね。地球を緑にするためにどこにでも入って行くし、誰とでも話をする。彼には、全くの「個人」でも正しい信念があれば周りは動いてくれるんだっていうことを一緒に歩く中で身体で教えてもらったね。

彼とのウォークで特に印象に残っているのは2人同時にマラリアに罹った時の話なんだけど、マラリアに罹る前に泊まった部屋にでっかい蜘蛛がいたの。そこの人は毒蜘蛛だからって殺虫剤をかけちゃってね。ポールはそれを「やめろやめろ。」って言って。
マラリアに罹ってうなっている時にポールは「あの蜘蛛のカルマだ。蜘蛛を痛めたことの因果応報が来ている」って。ポールは全てのものに因果応報を感じていて、人生を俯瞰して観ているんだよね。

坂口:生活がシンプルだからこそ、物事の本質が見えやすくなっているのかもしれない。

中渓:すごく意外なことを言われたんだけど、あの時はすっと腑に落ちたの。こうやって今話をしていてもその感覚は戻ってこなくて、それはやっぱりポールと一緒に歩いて、そのサイクルの中にいたから、納得出来たんだなって思えた。

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世界を変えるのは「個人」なんだ


ドームの目の前は日本海

坂口:もともと商社でサラリーマンをやられていた中渓さんがアースウォーカーになるって人生の大転換だなと思ったんですけど、覚悟を決めた瞬間ってありましたか?

中渓:ポールの旅について行く時は、一歩飛び超える感覚はあったね。実は出会ってすぐに付いていったわけじゃなくて、彼を見送ってから「最後の一人旅だ」と思ってしばらく南アフリカを旅してからジンバブエに合流しに行った。でも彼の向かったジンバブエでは暴動が起きていたから、みんなにも危険だからって止められて。しかもどこに滞在しているのかも全然分かってなかった。

坂口:じゃあ行く先々で聞いて回ったわけですか?

中渓:そう。だから国境沿いで聞いて回って。たまたま入国管理局の局長さんがポールのことを知っていて、首都ハラレの環境省経由でポールに連絡を取ってくれたんだよね。その時、彼に会いに行くまでの間には不安もあったけど、一つの確信もあったんだよね。

放浪の旅を続ける中でだんだん一つの疑問が起こってきて、「なぜアメリカはこんなにも世界の中で力を持っているんだろう」って。9.11やイラク戦争もあって、アメリカがどんどん我が道を行く時代だった。

坂口:ちょうど時代的にアメリカの暴走が中渓さんの旅と重なってますね。

中渓:9.11みたいにこれまででは考えられないことが起こり始める中で、アメリカの暴走を止めるのは他の「国家」や「国連」なのかなとおぼろげに期待していた時にポールに出会って、世界を変えるのはまったくの「個人」なんだなっていうのが分かった。彼に惹かれた真の理由は「樹を植えて緑にしよう」っていうメッセージだけじゃなく、世界の仕組みを変えようとしている人がここにいるんだっていうところだった。

旅する中で僕が疑問に思っていたことを同じように疑問に思って、しかもそれを変えようとしている人がすでにいるんだって。しかもその人は目の前にいて、たった一人で歩いて樹を植えている。

坂口:ポールが、中渓さんの疑問に対する答えみたいな存在だった。

中渓:そう。あてもなく三年近くふらふらする中で、最初はアメリカに憧れてたけど、それだけじゃなくて、世界の大多数の人は裕福な生活は出来なくても楽しんで生きてるんだなって分かった。自分の常識が変わってきた感覚があった。そんな中、芽生えていた疑問にズバーンと答えを出してくれたのがポールだった。だから彼の旅には付いていこうって確信できたんだね。

1971年シアトル生まれ。商社勤務などを経て2000年から放浪の旅に出る。旅の途中、イギリス人のアースウォーカー、ポール・コールマン氏(歩いて樹を植えることで自然の大切さを訴える環境活動家)に出会い、自らも植樹の旅を始める。これまで「アースデイ東京」と協力し、06年に沖縄-東京、07年に北海道-東京を踏破。現在、北海道のドームハウスを拠点に講演や執筆など活動の幅を広げている。

中渓宏一ブログ

インタビュー・写真:坂口惣一
場所:忍路(北海道)、中渓氏自宅
日時:2007.9.28

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