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在本彌生 (写真家) 前半


在本彌生との仕事は、彼女が一番最初につくった『ないまぜ』という名の小さなパンフレットの編集サポートからだった。彼女が、本格的に写真活動にとり組むようになったのは、この数年のことで、それ以前、10年以上にわたって国際線のフライト・アテンダントをつとめていた。毎週のように日本とイタリアを往復する日々であるにもかかわらず、その合間をぬい、彼女はとりつかれたように「遠く」への旅を続けていた。まず旅があり、そして写真がある。そのようにして在本は写真を始めたのだが、その写真を見た時、それが単なる記録や記念写真ではなく、そして、彼女自身の自分さがしの写真でもなく、まさしく、現代のノマディックな存在のあり様をあらわにする写真なのだと思いおどろいた。

現代は、すべての価値や存在がグローバリゼーションの激流の渦にまきこまれていて、ひどく、ゆらいでいる。足もとの土地は、固まったかと思うと、すぐに壊れ、流れてゆく。そのような現実感を写真は、「リアリティ」という名のもとに、プリントに焼きつけてゆく。在本の写真は決して「安定した」写真ではない。まるで、「見えないもの」にむかって、むやみに刃をふりまわしているようなところがある。彼女のその、写真家らしからぬ写真家の体つきが、時として、「見えないもの」を見事に斬り、血を流させ、傷口を露出させることに成功する。それは決して、単に「写真家」をめざす者には捕獲しえない、「イメージ狩り」なのだと言ってよい。

このたび、彼女の第1写真集『MAGICAL TRANSIT DAYS』が発売された。見る者は、その不思議な生々しさ、バラバラさ、ないまぜ感にとまどいながらも、とりこになってゆくにちがいない。

さて、これから在本彌生がどんなふうに「この世界」を横断してゆくか。それを僕はとても楽しみにしているのである。

後藤繁雄

1

「親しいもの」と「突拍子のないもの」


後藤:今まで、中近東へ行ったり、インドへ行ったり、いろんなところへ行ってますよね。今回はアフリカに3週間。在本さんの中で、「旅」と「写真」の関係はどうなっているんですか?

在本:それはね、別に「写真を撮りに行ってる」って気持ちじゃないんですよ。いろんなところを見てみたいという気持ちがまず第一にあって、そこに写真を撮ることがくっついてきてるような感じです。

後藤:極端だけど、写真を撮らなくても、どこかへ行きたい気持ちの方が強いですか?

在本:どっちかと言ったらそうだと思います。ただし、やっぱり行くからには、カメラも持っていきたい(笑)。

後藤:そのとき、観光写真にしないようにするための心がけは何かありますか?

在本:自分に身近だと思うものしかあんまり撮らないんだと思います。何か惹かれるということだと思うんだけれども。例えば、人の表情にしても、そこにあるものにしても。そこにいる人が、どんなものに反応しているかに興味があるんです。

後藤:例えば今、このテーブルの上にコップがあります。世界中どこに行ってもテーブルはある。それから世界中どこに行ってもコップはある。つまり人間にとって、近いもの。そういうものに関心がある、ということですか?

在本:そうとも言いますね。さっき自分の撮ってきた写真を見たばっかりだから、ちょっと思ったことを言うと、マリの国のジェンネという街に、世界遺産になってる、泥でできた大きなモスクがあります。スペインのバルセロナにある、サグラダ・ファミリアのようなコーン型の不思議な形をしてるんです。そのモスクの泥を毎年塗り替えるというすごく変わったところで、私はまずそれを、何か写真で見て「ああ、こういうところに行ってみたい」と思ったのがきっかけでマリに行こうと思ったんです。でも、それだけを撮るというよりも、むしろそこでどういう人たちがどういう過ごし方をしてるのかなっていう撮り方をしていた。

後藤:そのモスクへ行ったとしても、観光写真とはちがう、親しみの写真が撮りたい。突拍子のないものを撮影したいと思って行くわけではないんでしょうね。みんなが見ているような、視線の一つを撮りたい。

在本:おそらく、自分がそこに住んでたら、あるいは自分がここにいる人間だったらどんなものに目がいってるかなっていう気持ちで撮ってるんだと思います。

後藤:なるほど。

在本:だから、アフリカの家の中で、なんであたしこれ撮ったんだろう?って写真がいくつかあって。それは「瓶」を撮ってたんですね。家の中にある、水を汲み置きしてある瓶。それも2コマ続けて撮ってて(笑)。撮った記憶もほとんどないけど、たぶん、その生活圏にあるものを、水瓶を認めたんだと思うんです。すごく水が貴重だったから。

後藤:今まで、そういう写真はポートフォリオの中に入ってないですよね。例えば、キューバの宇宙飛行士やドラッグクイーンといった、ふつうその景色の中にはないものを見ていませんか?

在本:それはすごくそういうものが好きなんです。

後藤:じゃあ、さっきの話とちがう(笑)。

在本:その両極端が好き。両極端のものに惹かれるんです。正直言って、今回のアフリカの旅の中ではそこまで極端なものには出会ってないんですよ。あえて言うならば、移動した貨物船、というかほんとにただの筏みたいな船の屋根にバイクを乗っけて、それを搬送してたんだけど、そのバイクを撮りました。それは、キューバで撮った宇宙飛行士の宇宙服や、イランのシャンデリアと、共通する視点だと思うんですけど。それはなければないで、撮れないし(笑)。今回の旅の中ではあんまりそういうのはなかったかなあ。あった方がいいですよ、もちろん。

2

トラベラーズ・ハイ


後藤:写真新世紀のカタログには、フランスの田舎で撮った「女体木」が選ばれていました。審査員にとって、その写真が一番、「在本彌生っぽい」ということだと思うんですけど、どう感じました?

在本:すごくうれしいです。そういうのが好きですから。

後藤:歩いていて日常的にあるけど面白いものですよね。例えば、荒木経惟さんのように自分の定番の場所があって、そこで何回も撮ってしまうということってあまりないわけじゃないですか。つまり、同じ場所をトレースするように動いてない。それはどうしてなんですか?

在本:だから、行きつくしたいんですよ、まずは。

後藤:同じところには行きたくない(笑)。

在本:自分が興味がむいたところは全部つぶしていきたいんですよ。

後藤:今回、大変な目をしてアフリカに行ったけれども、大変な目はもっともっと遭いたいという気持ちはありますか?

在本:まだなんとかなるかな、という気はしますよね。

後藤:そのうち諦めるという感じもしますか?

在本:たぶん、ヤになる時は来ると思います。

後藤:イヤになったら、荒木さんみたいに、自分名所を撮るようになると思いますか?

在本:あー、なれるといいけど。あんまりそういうタイプじゃないような気がします。

後藤:すべて行きつくしたいっていうのは、それは病気ですからね。

在本:病気ですよ、完全に(笑)。やっぱりね、旅の高揚っていうのがあるんですね。

後藤:ハイってこと。

在本:ハイね。トラベル・ハイ。トラベラーズ・ハイか。

後藤:トラベラーズ・ハイ。

在本:ランナーズ・ハイみたい。

後藤:トラベリング・ハイ。トラベリング・ハイっていうと、なんかあれですね、イケイケっていうイメージがありますね。

在本:そうですね。

後藤:やっぱりある程度、ハイな実感がえられた時にいい写真があがる感じがしますか?

在本:します。

後藤:というと気持ちが沈んでる時の写真では、いい感じの写真はなかなかない。

在本:あんまりない。撮れないです、本当に。

後藤:撮る枚数は多い方ですか?

在本:他の人がどれくらい撮るのかわからないけど、でも、自分の中ではものすごく増えましたよ。もう絶対モノにしたいという度合いが強くなったから。

後藤:それはさっきと随分話がちがうような(笑)。

在本:あ、だから写真家としての意識はすごい高まってるんです。

後藤:自分はどれぐらい「写真家」だと思います?

在本:8割ぐらい写真家。

後藤:けっこう高いじゃん。

在本:もちろんですよ。

後藤:それは全然撮らないで旅だけ楽しむということではないでしょう。

在本:できない。今、もうこの自分の今の感覚では、写真を全く撮らないで旅行するってのは、きっとつらいだろうなと思いますね。だけど、あえて私はトラベラーであることを優先したい。そこからはじまってるから、自分は。旅をする中で教えられてきたことで自分は成り立っているという意識もすごく強いんです。

3

アフリカ、黄色い風景


後藤:ふつう旅行家というと、旅行記を書きますよね。文章で書きます。あとはいわゆる、旅の写真作家がいる。例えば藤原新也であれば、文章も書くし、写真も撮る。ああしないと満足できないわけじゃないですか。そのへんはどうですか?

在本:ああ、でもそれは両方できたらいいな。

後藤:それはどういうイメージでしょう。どうしていきたいでしょう。

在本:やっぱり写真だけじゃないと思う。言葉はね、何か必要な要素だとすごく思うんですよ。自分が何か、写真集だったり、映画とか、そういうものを見て感じとるものの容量ってすごく大きいけど、やっぱりそれは相乗効果があって、私の中に入ってくる。

後藤:その時に、自分自身のドキュメントと、知らない人に出会って、その人の物語を代弁してあげるということと、2つありますよね。その度合いはどちらが強いですか?

在本:両方ともあったらいいですね。結果的に自分自身のドキュメンタリーなんだと思うんです。何を書いても。

後藤:その表現の仕方というのは、もう何か発見しているんですか? 例えば、自分を記録する、いわゆる「私小説的な人」がいますよね。藤原新也だと、他人のことも書くけど、自分の日記になっている。反対に、「ドキュメンタリー作家」は、自分を消して相手を記録する。つまり相手が自分の記録をできなければ、そのかわりをしてあげる。3番目の人がいて、他人に自分を投影して、他人を撮っているんだけど、自分を撮っているという人がいます。それは明確に意識化されていますか?

在本:んー、全然器用じゃないので、もう圧倒的に自分のことを書くという中で、起こったことを混ぜていくやり方でしょうね。何を書いても、何を撮っても、自分のことなんだと思いますね。

後藤:今回のアフリカで、「書く・撮る」、総合したとして、一番記憶していたいエピソードはありますか?

在本:ずっと一緒に行動してた、ガイド兼コーディネーターのママドゥのこと。マリ人である彼の在り方が、すごく面白かったんです。

後藤:それは決定的なシーンというよりは、映画のような感じでしょうか。もし、一枚の写真をあげるとすれば、どうでしょう?

在本:ドゴンの村で、ヤギを一頭絞めて、肉をさばいていくシーン。私が見た時、もう逆さ吊りになって、剥いだ皮が地面に落ちてた。その後、内臓をきれいにとっていくんだけど、胃を最初に取り出すんです。ピーってナイフで胃を開けたら、さっきまで食べてた草がいっぱい入ってた。もう開けた瞬間に蝿がぶわっとたかってくる。別の人が、今度は腸をひきだすんですけど、ただの紐みたいにどんどんどんどん伸びていく。最後に残ったモモ肉を1000セーファーフランで買って、それをトマトソースのパスタにして食べました。なんか砂肝みたいな食感で、サクサクしておいしかった。さっきそこでさばいていたものを、ちゃんと料理してもらって食べるというのは、なんというか、胸のすく思いでした。

後藤:それはどういう感じなんでしょう。生々しさ、懐かしさ、それから何だろうな。面白さ。どういうことなんだろう?

在本:面白いんじゃないかな。面白いし、ありがたい感じがするんですよ。全然気持ち悪い感じはしない。生き物が肉に変化していくこと──たとえば、人間の死体が骨になっていく過程とか、なんだか清々しいところがあるじゃないですか。その感じをまた味わったなーって思いました。

後藤:今までも、そういう感じはいくつもあったんですか?

在本:典型的なのはインドです。人を焼く時、全部きれいに焼けるように骨を棒で叩いて全部砕いちゃう。あの、骨を砕く時の音とか。ほんと人を殴る時の音ってこういう音だよねっていう感じなんです。それをくり返して焼く。焼ききったらもう本当に粉々で、その灰を全部川に流す。

後藤:それは清々しさであり、爽快感でもある。と同時に滑稽ですよね。お料理の時、火をよく通すために叩く。それが実はまったく同じことだったりする。当たり前のことをよく見てみると滑稽だというふうな感じがします。

在本:そう、そういうのが面白いし、好きなんですよ。

後藤:今の日本って衛生的で、無味無臭だけど、その反対じゃないですか。それはある意味では感動的なんだけど、非常にキツい、怖い、えぐいと思う人もいるかもしれない。その違いを意識することはありますか?

在本:それはありますね。私の風景は、ちょっと黄色っぽいんです(笑)。黄色というか、オレンジというか。だから他の人の写真を見た時、青い空気が流れてるなと思う。でも、自分がとらえたいと思ってるのは、そういうところじゃないんです。

4

違和感のエネルギー


後藤:これは少し話が大きくなってしまうけど、自分はどの程度日本人ではないなと思いますか?

在本:……あんまり日本人だと思ってないですね。ただ、海外に住んだ経験もないし、日本で生まれて教育を受けた生粋の日本人なんだけど、いつも、すごく居心地が悪いと思ってきました。

後藤:それは小さい時から?

在本:そうです。どこにいても、なんだかあんまりしっくりこないなっていうのがあった。もっとどこか自分がしっくりくる環境とか人間関係とか職業とかあるんじゃないかなっていう「違和感」です。

後藤:その違和感は、写真を撮りはじめて少しは減りましたか?

在本:減ったと思います。それは、写真をやってよかったことですね。やっぱり写真は、ビジュアルで具体的になってくる。事実がどんどん重なっていくから、違和感をもっている世界をちょっとずつでも形成していくヒントになるんだと思います。

後藤:前に、「自分は世界を愛している気持ちがある」と言っていたんですけど、それはどこか、「違和感」とくっついている部分があるんじゃないかと思うんです。自分は「愛しているまなざし」で世界を見たい。そのエネルギー源は違和感じゃないかなと。

在本:まさにその通りで、違和感があるからこそ、とりあえず全部受け入れてみようっていう姿勢なんですよ。

後藤:ストレートなまなざしより、さらに「ストレート」。それは、非常に透明度の高いまなざしですね。

在本:だから何もないつまんなそうなところに行ってみたい(笑)。

後藤:トピックスがないところに行っても、なおかつ違和感、愛情の力が使えるかどうか試すわけですか(笑)。

在本:アフリカに行く直前に、サラエボに行ったんですけど、旧市街にあるケバブ屋さんで働いてた女の子とちょっと会話をしたんです。そこは、鳥をただ炭火で焼いてパンにのっけて出すっていうケバブ屋さん。女の子は肉を焼きながら、鼻歌をうたってる。その鼻歌のメロディーを聴いたら、「ああ、私ここに来てよかったな」っていう気がしたんです。その旅のキーワードというか、ここの人に会ったなっていう気がする出来事でした。そういうことが1つでもあれば、それでもういいんです。

5

旅してる時に見えてくるもの


後藤:旅に出ると、自分が旅映画の主人公になったような感じでうっとりする人っていますよね。それはある意味では余裕があるから自己陶酔できるわけだけれども、旅をしてる時には、どういう現実感ですか? そういうものは働いていると思います?

在本:自己陶酔はないですね。

後藤:旅している自分が好き、とか。

在本:そういうのはないですね。それは、旅していることは好きですよ。旅していることは好きだけど、旅している自分が好きっていうこともないな。別にふつうに家にいる時の自分でもいいんです。だけど、旅してる時に見えてくるものっていうのがすごく好きです。おもしろいと思う。

後藤:異郷に行った時、「ああ、世界はどこも同じだ」と気づくために旅をする人もいれば、ここでないどこかでは、ちがうことが行われているはずだと思って、それをとにかく探している人がいますよね? 在本さんの場合はどうでしょう。

在本:大前提として、「共通点はある」というアタマなんです。だから、ちがうことや変わってることを見つけるのが楽しいと思ってますね。基本的に、まったく共通点が見つけられないことはないと思ってるんですよ。

後藤:肉は食べるけど、ヤギの肉でなくても肉であればいい。ヤギの肉を食べたいと思ってるわけではない。

在本:ないですね(笑)。むしろ本当は肉を食べたくないのかも。

後藤:しょうがなく食べてる。

在本:それに、自分だけ黄色人種で、まわりはみんな黒人という環境に3週間ほどいると、単純に、この人たちの皮膚の構造とかどうなってるのかな?って思うじゃないですか。向こうでは、日常的にミントティーを一日に4、5杯飲むんです。ワイヤーで作った不安定な火鉢に石炭をくべて、その上にちっちゃなホーローのやかんをのっけてお湯をわかしてお茶を出す。その火鉢がたぶん転がるんだと思うんだけど、ものすごく火傷をしてる人が多いんです。靴磨きをやってるある男の子がすごい火傷をしてて、そこに蝿がたかってた。「1週間ぐらい前にやっちゃった」って言うから、薬を塗ってあげたんだけど、本当にこの皮膚の一番上の薄い部分だけが黒い。あとは肉もピンク色だし、血も赤い。ちがいはその薄皮1枚だけなんですよね。ヤギは毛皮もあって、厚い皮膚に覆われてるけど、人間は、こんなに薄い膜にかろうじて覆われてる、ものすごい危うい存在なんだなぁ。

6

がむしゃらに歩きまわる


後藤:そのね、狭い自動車に8時間もつめられたりしながら、探してるものは何ですか?

在本:自分でも思っちゃった(笑)。ほんとブルース・チャトウィンじゃないけど、「僕はどうしてこんなところに」って。何を探しに行ってるんだろう。ただ、がむしゃらに歩きまわりたいんです。歩きまわりたいっていう衝動なんだと思う。

後藤:たとえば、ジプシーのようにお金や仕事をもとめて、否応なく移動する人もいますよね。そういう人たちと衝動のままに移動している自分の立場の差はどう感じますか?

在本:あんまり考えない。でも、ちがいますよね、圧倒的に。

後藤:ここにいられることの幸福を我々は持っているわけですからね。

在本:それはもう、たまたま幸運であったとしか言いようがない。みんな選んで生まれてくるわけではないですから。私はたまたま日本に生まれ、今の時代に生まれたから、こうしていられる。本当に偶然のラッキーがあつまって、今の状況が作り出されているでしょう? マリで同い年の女の子がどうしてるかって言ったら、市場で3人子どもを抱えて、鳥を3羽持って売ってる。別にだからいいとか悪いとかいう話じゃなく、たまたまそうなってるんですよ。

後藤:それに対しての使命感というほどでもないけれど、「私は何をしているんだろう?」ということはないですか。

在本:そうですね……。ラッキーである以上は、とことんできるところまでは突っ走りたいなって思う。1トラベラーであった自分が写真というツールに出会って、今こうして発表する場も少しずつ増えてる。それを追求していくことの意味が、私にとってすごく大きくなっているんです。それは本当に、できるところまでやっていこうと思います。

写真家
1970年東京生まれ。1992年より航空会社で乗務員として勤務。外資系航空会社フライト・アテンダントとして日本と世界を往復する中、アジア、グリーンランド、中南米、ヨーロッパ等の旅を行ない、2000年より本格的に写真活動を始める。
2006年4月、初の写真集『Magical Transit Days』をアートビートパブリッシャーズより発売。『ニュートラル』『high fashion』などで精力的に活動を行なう。

インタビュー:後藤繁雄(TS)
写真:高木俊幸 blog
場所:東京
日時:10/05
リンク:route841.com

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