018

高田洋三 (写真家) 後半


1

「接点」をつくるということーSIMSCAPES


SIM SCAPES, 2005

近藤:さっき被写体の強さに頼っているかもしれない、という話があったけど、すべての写真は何かのドキュメントではあるわけで、それが作品かドキュメントなのかっていう区別は自分の中ではどういう風にしているの?

高田:僕はこれがドキュメントというのは抵抗があるかな。すべての写真はドキュメント性を帯びているとは思うんだけど…。

近藤:もちろんそれはあると思う。たとえば風景を撮りに行った時に、これが現場のドキュメントではなく、作品になるっていう選択があると思うんだけど、それはどういうところに(理由?動機?が)あるんだろう?

高田: まあ、「SIM SCAPES」だと分かりやすいかもしれないけど、この場っていうのは科学者がつくっている研究施設で、科学の中でいろんな可能性を秘めているわけだけども、僕はドキュメンタリーとかジャーナリストじゃなくてアーティストなので、アーティストが見て科学者が引き出すことのできない可能性を引っぱり出すことが僕の仕事で、それが出来た時に作品になるのかなと。
あと、あの作品に関しては、展覧会のときにトークショーをやったんだけど、いろんなジャンルの人間が来てくれた。建築から、ちょっと精神論的な人とか、科学者もいたし、デザイナーもいた…そういういろんな人を結びつける接点の場所になったんだよね。それはこの現場の科学者たちもすごく喜んでくれて、僕にとってもちょっと発見で、そういう場所をつくること自体もアート作品としてあってもいいかなという。それが作品性なんじゃないかなっていう。

畠山直哉写真集『Lime Works』
Naoya Hatakeyama
1996年/シナジー幾何学

近藤:なるほど。たとえば畠山直哉(写真家)さんの石灰工場を撮った作品なんかは、あれがドキュメントじゃなくて作品になっているのは何故だと思う?

高田:やっぱり日常との接点をつくるということなのかな、違う回路で。畠山さんの場合でいえば、あそこで採れた石灰というものがー「風景の起源」って言ってたかなーそれでつくられたコンクリートによって東京では風景になっているという。それによって有機的に都市を見られるようになったりとか、日常を違う視点で見られるようになったりする。一見関係ないと思われた風景が、実は自分が見てる風景とリンクしているという、そういう接点をつくっているってことかなと。けっこうそういうことは自分でも意識してるかな。

近藤:たしかに「SIM SCAPES」でも、去年の一発目を見たときはフューチャリスティックな施設のカッコ良さとか、見たことのない風景を見た驚きというのが大きかったけど、今回はずいぶんと中に入り込んでいるよね。フューチャリスティックかと思いきや、いきなりそこで茶碗で食事してる風景があったりする。

SIM SCAPES, 2005

高田:ここは完全に管理されてて、人2人が生活するだけの最小限の設備しかないんだよね。だからこの場所自体はインスタントで、過保護で、すごく高いもので、そういう意味ではすごい都市的なのかもしれないけど、そこで生まれる関係性だけが自然なのかな。空気吸って、有機物食べて、それが循環する。シミュレーション的なメタフィジカルな空間をとおして、ちょっと違う階層から現実を見ることができる瞑想的な空間というか。
前回もそういう階層性というか、コンピューターのシミュレーションによる外からの視線と、実際にその中で生きる人の内からの視点っていう2つの世界を行ったり来たりするのを意識して写真とビデオを使ったりもしたんだけど、今回は写真だけで、もっとこう自分が視点だけというか、目玉だけになったような感じでやってみた。

近藤:より覗き見感は強いよね。

高田:もう少し自由に、自分が目玉として、コンピューターの中で視点が自由に選べるようにってことを考えながら撮っていたかな。

近藤:元々はなんで「SIM SCAPES」の場所を撮りたいと思ったの?

高田:元々、アメリカにある方のバイオスフィアを知ってて、展覧会があって話してたときのキュレーターの提案だったわけだけど。自然と人工の対比っていう古典的なところから一歩踏み込んで、完全に人工の自然を撮ってみようと思ったんだよね。そのまま月にも持っていける完全に密封された世界の中で、自分がどこまで写真を撮ることができるのか試してみたいと。今までは人と接しながらやるというのがなかったから、それが今、面白いかな。気分的には地方の神社にお参りしている感覚かな(笑)。世界から切り離された、ある種崇高なところで、生物のありがたみを感じながら、お茶を飲みながら科学者の話を聞くという物見遊山というか。

2

FUTURE SOURCE:今、注目しているモノ・人・コト


宇宙地図とP. of Ten

前者が科学、後者が美術の作品と分類するとおもしろい(…後述)。

ガーデン

現在の科学プラントとしてつくられるバイオスフィア施設と、古今東西の庭園を同列に比較してみる(…後述)。

ドキュメント映画

「ルーブル美術館の秘密」「WATARIDORI」など、決して新しくないテーマだが、最高の映像センスで、静かに対象を見つめるまなざしに共感する。

芹沢高志「月面からの眺め」

芹沢さんには行動力でも思考的にもフットワークの軽さを感じる。

ジャンベ

趣味。内向的な仕事が多い中で、パワーを発散できるのがいい。圧倒的な音で瞬間に相手をひきつけてしまうとこに、憧れる。


宇宙地図と POWER OF TEN

『Powers of Ten: A Flipbook』Charles Eames、Ray Eames

前者が科学、後者が美術の作品と分類するとおもしろい。科学では観測可能なものだけが宇宙のすべてである。その点で宇宙は観念的なものと言える。その潔さがいい。その観測不可能な部分(宇宙の果ての先は?)に美術の領域があるのかも。科学は観測者と対象としての世界とが分離される。いかに世界の知識が深まろうとも
そこに観測者の居場所がなければ豊かな世界観は生まれない。
世界との関係を構築すること、それが「物語」の意味。
余談だが、「宇宙の缶詰」という赤瀬川原平の作品が大好きである。(高田)

ガーデン

現在の科学プラントとしてつくられるバイオスフィア施設と古今東西の庭園を同列に比較してみる。それぞれの場所、時代にあった理想郷としてのガーデンが浮かびあがってこないだろうか。旅をする写真家としてライフワークとしたい。(高田)

高田:フューチャーソースの中に「ガーデン」っていうのがあるんだけど、古今東西のガーデン/庭園ていうのがあると思うんだけど、(「SIM SCAPES」も)その中のひとつとしてとりあげていったら面白いかなと。その場合の庭園の定義としては区切られていること、さっき瞑想的な空間みたいなね。中世の庭園であればそのバックボーンには宗教があると思うんだけど、今であれば科学がその空間をつくっていると思うんだよね。もちろん日本の庭園とかもあるし、後ロシアとかアメリカでもそういう閉鎖空間の実験というのも行われているようなので、そういうところまで取材をできるようになりたいなと。何らかの方法でちょっとアプローチしてみようかなと思ってるんだけど、それができればライフワークとして時間かけてできる仕事になるなとは思う。

左から近藤、高田

近藤:それは壮大なものになりそうだね。

高田:モチーフは奇抜なものが多いんだけど、テーマとしては普遍的なものに向かっていると思ってる。つきつめていけば風とか光とかというものにたどりつく。それを新しい形で表現できればなと。

近藤:ガーデンというと、西洋では自然を徹底的に支配した人工物をつくろうとするのに対して、日本ではその中にミニ自然をつくろうとするよね。

高田:箱庭的っていうかね。

近藤:そういう意味では「SIM SCAPES」なんかは日本的な発想なのかと。

高田:管理するという意味では西洋的だけどね。

近藤:でも日本の庭園も見えないように管理はしてる。まあ科学自体が西洋的なんだろうけど。

高田:イギリスとかにも「エデン・プロジェクト」というのがあって、昔のフラードームを原型にしたようなドーム状のものを、汚染された土地の上につくって、そこで植物を育てて植物がもってる治癒力で土地を再生させるというのが実際に行われている。しかも植物園みたいに人が自由に出入りできると。

近藤:ガーデンってすごく広い言葉だよね。たとえば公園もガーデンと呼べるかもしれないし、街もガーデンと呼べるかもしれない。

高田:そうだね。もうちょっとイメージとしてはフレームがはっきりしているものかな。内と外が明確になっている。なんかフレームができるだけで、人間って想像力が湧くところがあると思うんだよね。

ドキュメント映画

「ルーブル美術館の秘密」「WATARIDORI」など、決して新しくないテーマだが最高の映像センスで、静かに対象を見つめるまなざしの共感する。声高に訴えるわけではない新しいドキュメントの可能性を感じる。(高田)

芹沢高志『月面からの眺め』

『月面からの眺め』芹沢高志著/毎日新聞社

芹沢さんには行動力でも思考的にもフットワークの軽さを感じる。マクロな視点とミクロな視点を、つなぎ合わせる知識を我々はすでに持っている。その知識的世界観のなかでいかに遊ぶことができるか、自分の居場所をもてるか、美術のもつ喚起力でマクロとミクロの世界観を距離感をぐぐっと近づける思索を行なっている人。THINK GLOBAL,ACT LOCAL.(高田)

近藤:僕もこれには影響を受けたなぁ。外からの視点というか、宇宙からの視点を持っていて、それを実際にいろんなレベルで行動に移している人。

高田:グローバルに考えて、ローカルに行動するってことを彼の言葉で置き換えていると思うんだよね。僕らは、地球の裏側で起こっていることがこちら側にも関係しているっていうことを、知識としては知ってるけど、それを想像することができない。その狭間を埋めることを彼はしてきていると思う。世界的な規模のものを個人として捉えようということ。知識としては知ってても、そこに何か想像力をかりたてるものがないと。全体では無理だけど、少しずつなら実感できると思う。それは「SIMSCAPES」とかにも関係してる。

ジャンベ

趣味。内向的な仕事が多いなかで、パワーを発散できるのがいい。
圧倒的な音で瞬間に相手を引きつけてしまうとこに、あこがれる。(高田)

近藤:高田くんの作品は、どちらかというと冷静で、スタティックなものが主体だもんね。

高田:僕の作品はリズムの無いものが多いし、内に向かうパワーのものが多いから、発散系のものがやりたくなるんだよね。そういうパワフルなものに憧れる。

近藤:そのうち、高田くんのそういう面も作品に出てくるのかもね。

高田:作品のやり方としては出来ては壊して広げたいし、期待を裏切っていきたいと思う。写真家って、偉くなるとその人のモノの見方が権力になってしまうから、そうなると自由に見れなくなる。ある意味、作家はそれを意識してずらしていくのも必要じゃないか。ロバート・フランク(写真家)なんかはその辺を意識してるんじゃないかな。

近藤:たしかにロバート・フランクは「The Americans」で一世風靡してから、その後はビデオやったり、最近作も海辺の写真に文字描いたりしてるしね。

高田:その点、アラーキーはずっと同じスタイルなのかな。

近藤:でも彼もその時々でいろいろ趣向を凝らしてるよね。

高田:東京という街自体が変わっていくから、その面白さもあるよね。

3

写真の本来もっている残酷さ


H-house

近藤:(おじいさんの家を取り壊す写真を見ながら)模型飛行機を自分で組み立ててつくった「FRAGILE」もそうだったけど、高田君の作品って、はかなさとか、消えていくもの、弱々しいものに対しての暖かい視点というか、愛おしさを感じる視点が共通している気がするんだけど。

高田:ノスタルジーなものが基本的には好きだっていうのはあるかな。

近藤:でも、高田君の写真はノスタルジーではあってもあんまりノスタルジックではないというか、冷たい、感情を排した感じが多いよね。

高田:すごい両極があるんだろうなって。わかりやすく見せたいっていうのもあるし、そんなに簡単にわかってたまるか、という面もあったり。

近藤:この「H-HOUSE」っていうのは?

高田:おじさんの名前の頭文字というのもあるし、他にも北海道とか、historyとか、houseとか…いろいろあるんだけど、この、見慣れたはずの自分の家に兵隊が立っているという写真がけっこう個人的にはショックで…。よく知ってたはずの家、自分史の再編集っていうか…。だからこっちの方は、写真の本来もっている残酷さっていうか、表現とかそういうのを突き抜けた、写真本来がもっている記録性というのがまざまざと出ている。ある意味、これを通して自分で写真を再考するきっかけになるかなと。

4

50年後の未来のこと


SIM SCAPES, 2005

近藤:最後の質問。高田くんは「SIMSCAPES」のようなある種未来的な風景を最近撮ってるわけだけど、50年後の自分を思い浮かべて地球はどうなっていると思う?そこでどんな作品をつくっていたい?

高田:もし実際にこういう(「SIMSCAPES」のような)環境の中に生きることになったら、とりあえず豊かではない。こういう環境になってしまったら、それこそどんな作品ができるんだろう?さっきのチベットじゃないけど、それとは反対の濃い文化が生まれてくるのかなって。僕は、豊かじゃないからこういうこと(美術)をすると思ってて。

近藤:現実が今イチだと思うから、美術をつくらなきゃならない…。

高田:宗教と近いものがあるかな。非日常とふれあうきっかけだと思ってます。それ自体は何の生産性もないけど、個人的に触れあえばそれを通じて外部と通信できるものだと思う。

だから、美術を日常化しようという流れはあくまでもきっかけであって、本当に(美術が)日常になってしまったら、美術じゃなくなっちゃうんじゃないか。日常の中に非日常を連れ込ませるのが、美術にできることなんではないか。何かをつくるってのも、有限の中に暮らしているからで、宇宙なんかで暮らしちゃったら、無限を知っちゃったら…

近藤:壁を隔てた向こうにそういう無限の空間が広がっているって意識しちゃったら、美術なんてつくらないかもね。高田くんは何でこういう制作をつづけてるんだと思う?

高田:そもそものきっかけはたいしたことでなくて今となっては覚えてないけど、もう後には引けないってのが一番かな。ここまできて止めたら負け犬じゃないかって。
正直作品を作り続けて行くことは、経済的にも大変なことばっかりで、自分を盛立てていくのは大変なこと。それでもやっていけるのは作品を通して、いろんな人と知り合うことができるからかな。お世話になった人もいるし、チャンスをくれた人、見返したい人もいる。

人それぞれボキャブラリーがあるように、僕にとってコミュニケーションツールとして(写真は)なくてはならないものになっているから、止めてしまったら怖いですね。コミュニケーションって、自分と他人と言葉なりぼくなら作品っていう、三角関係で成り立ってると思うんだけど、新しい人と出会ったり、作品を発表することによって、作品も、ぼく自身も影響をうけて変わっていくとおもう。そんななかで、これからぼくがどんな作品を作っていくかは、作品自体によって導かれていくとこも大きいと思う。逆にぼく自身、これからどんなふうに変わっていくのか楽しみだし、それが原動力にもなっているんじゃないかな。

5

インタビュー後記


ぼくは難しいことをしゃべるのが苦手だ。
早口になり、声が裏返る。
これはぼくの言葉なのだろうか、と自問する。
借り物の言葉はすぐに見透かされる。

でも今記事を読んでみると、いっぱいロジックがあまいとこもあるが
とりあえず自信をもって、しゃべっていることは、実際に自分の足を使って歩き
体験し、直感から得たものたちである。

無駄な知識をいっぱい詰め込んで頭でっかちになり、旅にでたのが10年前。
それがようやく、いい具合に醸造されて頃合いになったのかもしれない。

これはぼくにとって 初めて声が活字となって残るものである。
とてもうれしいし、感謝をしたい。そしてやっぱりはずかしい。
いっぱい直したい気持ちを抑え、最小限の加筆修正に止めたつもりだ。

これからはもっと1語1語大切にしゃべろう。どうもありがとうございました。

高田洋三

6

展覧会情報


FRAGILE ・ snowscapes / 高田洋三 写真展

2006.1.28(sat)02.22(wed)  OPEN : 19:00026:00 無休
@CAMARADA 中目黒 
中目黒駅から山手通り沿い 徒歩5分 詳しくは→こちら  

オープニング・パーティー/ 1.28(sat) 18:00021:00 3.000
FREE DRINK & LIGHT FOOD & MUSIC
DJ: Katsuya Taniguchi

中目黒にあるBAR にて展覧会を開催します。
「FRAGILE ・ snowscapes」は過去の作品から、雪の結晶をイメージにリ・メイクしたもの。そのほか150cm幅の大判にリ・プリントした、風車シリーズなどの今までの代表作も展示します。

1971年札幌生まれ。2002年からフリーランス・フォトグラファーとして活動開始。主に建築・現代美術作品の撮影、デザイナーやアーティストとのコラボを行なう。日本各地の風力発電施設を撮る「WINDSCAPES」、青森・六ヶ所村にある人工的に生態系を再現する実験施設を撮る「SIMSCAPE」などのシリーズなどでは、人工と自然が分かちがたく融合された環境を静的に見つめながら、新しい自然観を問うている。近年は亡き祖父が札幌で撮影したガラス乾板の保存活動から影響を受け、北海道を舞台にした新作を製作中。
高田洋三HP"Sheep Photo"

インタビュー:近藤ヒデノリ(TS編集長)
写真:NOJYO
場所:高田洋三自宅
日時:2005/12/12

バックナンバー